アルフレッド大王
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アルフレッド大王(Alfred the Great、古英語ではÆlfred、849年 - 899年10月26日[注釈 2]、在位:871年 - 899年)は、七王国のウェセックス王。兄エゼルレッド王の死後、王位を継いだ。妃はエアルフスウィス(Ealhswith)(エアルスウィス、Ealswith)[注釈 3]。約100年続いたデーン人(北欧ヴァイキング)の侵攻を食い止め、衰退したイングランドのキリスト教文化を復興し、古英語での読み書きを習慣化した王として知られる[2]。
注釈
- ^ Since 1974 Wantage has been in Oxfordshire.[1]
- ^ 『アングロ・サクソン年代記』「パーカー写本」901年の項には諸聖人の日の6日前に没したと書かれているので10月26日に没したと思われる。
- ^ 七王国のひとつマーシア王国のオファ王の玄孫にあたる。これに関してはEadburga Beortricsdotterの祖父のOffa of Merciaと孫のEalswith van Gainas(夫はAlfred the Great)を参照。
- ^ アッサーの記述によるとこの地名は黄楊の樹木が繁茂するベロックの森にちなんでいる。
- ^ 853年の訪問後ウェセックスへ帰らずにそのままローマに残っていたという説もある。
- ^ 兄エゼルレッドには2人の子供がいたがまだ幼く、デーン人との戦いが繰り広げられている最中、ウェセックスの王位に就くことは考えられなかった。また、エゼルウルフの遺言がまだ功を奏していたとも言われている。後にこのエゼルレッド王の子エゼルウォルトとエドワード長兄王が王位を巡る争いをしている。
- ^ フランク式誓約とは保証人を地域から選んで申請する義務を負わせるもので、破れば厳罰、逃亡すると地域全体に罰金という連帯保証制である。
- ^ この母はオズバルガであると推測されている。
- ^ ケンブリッジとどちらの創始が早いか争った際に持ち出された説で、史実とは異なる。
出典
- ^ “Wantage”. British Museum. 2020年6月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年6月23日閲覧。
- ^ 『イギリス文学入門』p20三修社, 2014
- ^ ロモラ&R.C.アンダーソン著、松田常美訳『帆船:6000年の歩み』成山堂書店、1999年。ISBN 4425953215、p.45.
- ^ Craig, G. “Alfred the Great: a diagnosis”. Journal of the Royal Society of Medicine 84 (5): 303–305 .
- ^ Gross, Ernie (1990). This Day In Religion. New York: Neal-Schuman Publishers, Inc.
- ^ アルフレッドが実際に発明したのは蝋燭が一定の時間で燃えることを応用し、風の影響を受けぬようまわりを囲った道具であるとされる。
- 1 アルフレッド大王とは
- 2 アルフレッド大王の概要
- 3 子孫
- 4 参考文献
「アルフレッド大王」の例文・使い方・用例・文例
- アルフレッド大王.
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