アシエンダの経営と労働力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/11/28 16:11 UTC 版)
「アシエンダ制」の記事における「アシエンダの経営と労働力」の解説
アシエンダは地主の家父長的支配による小さな社会を形成し、小作地と地主直営地に分かれた。小作地は雇役小作(コロノ、インキリノ、ワシプンゲーロ)、分益小作(ヤナコナ、アパルセロ、メディエロ)、賃小作(アレンダタリオ)に区別され、直営地では農業労働者(ガニャン、ペオン、アフエリノ、ボルンタリオ)らが低賃金労働を行った。 個人経営のアシエンダの場合は、地主の多くは農場内に居住せず、主要都市や外国に居住し、農牧場の経営は監理人(アドミニストラドール)か、さらに下の中間監理人であるマヨルドーモに任された。 アシエンダ経営は19世紀初頭の独立革命においてもなんら影響を受けず、むしろ自由主義改革や19世紀末の資本主義形成期を経て、大土地所有はさらに顕著になった。この結果、19世紀末の農民からの大規模な土地収奪が、1911年のメキシコ革命の原因となった。メキシコではカルデナス政権下でようやく実質的な土地分配が実施された。所得格差や貧困の大きな要因となっていたこれらの農地の改革がラテン・アメリカ諸国の多くで行われたのは、20世紀の半ばに入ってからであった。
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