アキーレ・バルツィ(イタリア)
タツィオ・ヌボラーリと同時代に活躍したが、互いのスタイルをことごとく異なるものとしていたために、相入れないライバルとなった。また、ヌボラーリはブラインド・コーナーでも全力で飛び込んでいくタイプで、のちにはそれに伴ういくつかのクラッシュから満身創撲となったのに対し、バルツィは常に冷静で不必要な無理は行わず、全盛期には1度もクラッシュを起こさなかった。1930年に2人はアルファロメオに属したが、それ以降は互いにライバル・チームで走ることを選び、2度とチームメイトにはならなかった。30年代末にはモルヒネ中毒となってレースの世界から遠ざかり、そのまま身を持ち崩すかと思われたが、戦後に立ち直った。そして、アルファロメオ158でスイス・ベルンで行われたヨーロッパGPのプラクティスに臨んだときにコースアウト、転倒したマシンの下敷きとなって死亡した。
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