大津の歴史事典 |
山元春挙
読み方:やまもとしゅんきょ(1871~1933)
明治4年(1871)当時の大津県中庄村に生まれた。打出小学校卒業後、12歳で京都の日本画家野村文挙に入門、その後文挙が上京したため、文挙の師、森寛斎に師事した。明治24年、竹内栖鳳、菊地芳文らと青年絵画懇親会を結成。後に、京都市立美術工芸学校、市立絵画専門学校で教鞭をとり、大正6年(1899)帝室技芸員となった。また琵琶湖や三上山を借景に取り入れた「蘆花浅水荘」を営み(中庄一丁目)、のち庭内に「記恩寺」を建立、寛斎と父の像を安置した。風景画を得意とし、雄大な山岳・日本アルプスなどの風景を描くためカメラを持参した最初の画家でもあった。昭和8年(1933)、63歳で没。
美術人名辞典 |
山元春挙
読み方:やまもと しゅんきょ
日本画家。滋賀県生。名は金右衛門。別号に一徹居士。初め野村文挙に学び、のち森寛斎の門人となる。円山派の伝統に通暁し、風景画・山岳画に秀で、竹内栖鳳と共に京都画壇の重鎮として活躍した。早苗会画塾主宰。京都絵専教授。帝国美術院会員・帝室技芸員。昭和8年(1933)歿、63才。
日本画家。滋賀県生。名は金右衛門。別号に一徹居士。初め野村文挙に学び、のち森寛斎の門人となる。円山派の伝統に通暁し、風景画・山岳画に秀で、竹内栖鳳と共に京都画壇の重鎮として活躍した。早苗会画塾主宰。京都絵専教授。帝国美術院会員・帝室技芸員。昭和8年(1933)歿、63才。
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