めきめきと蛇が鳥呑むはやさかな
作 者 | |
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季 節 | 夏 |
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前 書 | |
評 言 | 爬虫類は最も苦手だ。蛇がカエルを呑むシーンに幾度か出くわしたことがあるが思い出しただけでもおぞましい。その場は目をそむける以外に方法はない。生き物の当然の行為、自然の営為なのはよく分かってはいるが、見るとやはり虫酸が走る。 少年時代、兄といっしょに小鳥を飼っていた。餌や水の取り替え、鳥かごの掃除など休みの日にはせっせと励んでいた。数種類飼っていたが、中でも十姉妹は繁殖力があり沢山子を孵した。巣の中を覗き込んでは雛の成長を観察していた。ある日学校から帰ると両親が妙によそよそしい。私の目を見ないのですぐ分かる。ふっと庭先に目を遣ると死んだ青大将が転がっていた。一瞬で全てを理解したように思う。十姉妹の雛が並んでいた丸い藁の巣は、もちろんもぬけの殻であった。青大将は父が処分してくれていた。少年に止めどなく溢れ出た涙と、涙で歪んで見えた両親の顔は今も記憶の手前の方にある。 取り上げた句は、江里作品にしては珍しい自然詠である。しかし、単なる写実に終わらせないのが作者たる所以であろう。もったいぶったが「めきめきと」がなかなか言えない言葉なのである。この語により、蛇が溌剌と生きて行こうとしているように思えてくる。蛇の顎の構造上、いったん呑み込み始めたら後戻りは出来ないらしいが、そんなことより蛇自身が持つ生命力がひしひしと伝わってくる。言葉の斡旋の妙を思う。 「はやさかな」は虚子の大根の葉を思わせるが、蛇が鳥を呑み込むスピードに使ったのは他に例を見ないであろう。 鳥には悪いが蛇の気味悪さを少し払拭させて貰えた一句である。 写真:荒川健一 |
評 者 | |
備 考 |
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