その後引退まで
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「スティーブ・カールトン」の記事における「その後引退まで」の解説
7月4日にサンフランシスコ・ジャイアンツと契約。8月5日のレッズ戦でエリック・デービスから三振を奪い、史上2人目の通算4000奪三振を達成。試合後に引退を発表し、球団もウェーバーの手続きを取るがすぐに撤回し、8月12日にシカゴ・ホワイトソックスと契約。シーズン通算で9勝14敗、防御率5.10の成績で、オフにフリーエージェントとなる。1987年4月4日にクリーブランド・インディアンスと契約。4月9日のトロント・ブルージェイズ戦で先発のフィル・ニークロをリリーフして史上初の「300勝投手リレー」となり、20年ぶりのセーブを記録する。5月途中から先発に復帰するものの結果を残せず、7月31日に後日発表の1選手との交換トレードでミネソタ・ツインズに移籍。その後も調子は上がらず、シーズン通算で6勝14敗、防御率5.74に終わる。チームはリーグ優勝し、ワールドシリーズで古巣カージナルスを破ってワールドチャンピオンとなるが、ポストシーズンのロースターからは外れた。12月21日に解雇されるが、1988年1月29日に再契約。しかし防御率16.76と衰えが顕著で4月28日に解雇。現役続行を試みたが契約する球団はなく、1989年に正式に現役引退を表明した。 引退当時、カールトンの通算奪三振はノーラン・ライアンに次ぐ歴代第2位で、左腕投手としては当時歴代1位の通算4136奪三振を記録だった。通算329勝は歴代9位で、左腕投手としてはウォーレン・スパーンの363勝に次ぐ第2位である。 古巣フィリーズは、カールトンの引退を受けて同1989年にカールトンの在籍時の背番号『32』を永久欠番に指定した。
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その後引退まで(1997年)
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「エディ・マレー」の記事における「その後引退まで(1997年)」の解説
1997年はアナハイム・エンゼルスに移籍し、1997年シーズン途中に再びドジャースに移籍して9月20日に現役引退を表明した。
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