お茶兼の遊朝
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三遊亭 遊朝(さんゆうてい ゆうちょう、慶応2年(1886年10月) - 大正2年(1913年)8月2日)は、主に明治後期に活躍した落語家。通称「お茶兼の遊朝」。 前身は書生の俳優。明治20年代初め2代目小さん門下で小かねを名乗り、明治20年代後半に4代目橘家圓喬門下で喬雀となる。1899年ころに花圓喬に改名した後、1901年ころに初代三遊亭金馬(2代目三遊亭小圓朝)門下に移って圓輔に改名。1907年ころに友朝となり、1910年2月に真打昇進し、1912年6月に遊朝に改名した。 音曲の腕が良く、また仲間の物真似を売りにしていたという。 「お茶兼」の由来は、茶道を好んでいたからとも、チャラチャラしていたからとも言われる。
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