地図測量人名事典 |
阿曽沼次郎(あそぬまじろう 1850-1916)
山口県豊浦藩士(萩博習堂)、初期の北海道庁で北海道全域の地形図作成を担当。
戊辰戦争後、慶應義塾に入り測量術を学び、明治 4年(1871)工部省に入り館潔彦らと三角測量・地形測量に従事した。その後内務省地理局に転じていた。この間、一時地理局地質課(明治13年)に在籍し、関野修蔵、大川通久、神足勝記らと地質調査のための地形測量に当たった。
明治19年北海道庁は、福士成豊の指揮で地形測量を始めていた。翌明治20年、当時の北海道長官岩村通俊に招かれた阿曽沼は、福士成豊に代わってこの事業を引継ぎ、10年間を費やして「1万分の1真形図」(明治28年)と、これから編集されたといわれる北海道全域の5万分1地形図(「仮製5万分1地形図」)さらに編纂した20万分の1地形図(「北海道実測切図」)を陸地測量部に先駆けて完成させた。
この地形図は、本土における迅速測図と同様に正則な三角点などに基づかない方法で作成されたもので、高い精度は保有していないが、本州の地図整備が進んでいない時期に北海道全域の地形図整備を終えたことは驚異といえる。また、その後数百枚の植民地区画図を作って、開拓入植者の便宜を図った。その原型が北海道の基幹道となっている。
同地形図の完成を機に北海道を離れ(明治30年)、再び地質調査所に戻り(明治33年)、さらに後年は、北海道庁(明治43年)に戻って後進の指導にあたった。
戊辰戦争後、慶應義塾に入り測量術を学び、明治 4年(1871)工部省に入り館潔彦らと三角測量・地形測量に従事した。その後内務省地理局に転じていた。この間、一時地理局地質課(明治13年)に在籍し、関野修蔵、大川通久、神足勝記らと地質調査のための地形測量に当たった。
明治19年北海道庁は、福士成豊の指揮で地形測量を始めていた。翌明治20年、当時の北海道長官岩村通俊に招かれた阿曽沼は、福士成豊に代わってこの事業を引継ぎ、10年間を費やして「1万分の1真形図」(明治28年)と、これから編集されたといわれる北海道全域の5万分1地形図(「仮製5万分1地形図」)さらに編纂した20万分の1地形図(「北海道実測切図」)を陸地測量部に先駆けて完成させた。
この地形図は、本土における迅速測図と同様に正則な三角点などに基づかない方法で作成されたもので、高い精度は保有していないが、本州の地図整備が進んでいない時期に北海道全域の地形図整備を終えたことは驚異といえる。また、その後数百枚の植民地区画図を作って、開拓入植者の便宜を図った。その原型が北海道の基幹道となっている。
同地形図の完成を機に北海道を離れ(明治30年)、再び地質調査所に戻り(明治33年)、さらに後年は、北海道庁(明治43年)に戻って後進の指導にあたった。
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