『鳴響安宅新関』
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人形浄瑠璃の分野においては近松門左衛門によってすでに『凱陣八島』、『殩静胎内捃』、『文武五人男』といった作品が弁慶と勧進帳の話を題材にして書かれていた。久しく上演の機会を見なかったこれらの演目に代わって1895年(明治28年)に二代目豊沢団平の作曲で新たに『鳴響安宅新関』が書き下ろされ、1月、稲荷座において初演された。当初、弁慶のかしらは団七であったが後に歌舞伎の役者の風貌に近い文七に変えられ、花道を用いて六法を演じるような演出もつけ加えられた。能の『安宅』、歌舞伎の『勧進帳』両方を参考にしていると考えられているが、相違点として、前半は松羽目の背景を用いているのが、劇中において海辺を描いた書割へと変わるというものが挙げられる。
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