『言継卿記』の大胡武蔵守とは? わかりやすく解説

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『言継卿記』の大胡武蔵守

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 15:32 UTC 版)

上泉信綱」の記事における「『言継卿記』の大胡武蔵守」の解説

上泉信綱は、戦国時代史料上には、山科言継日記言継卿記』に、永禄12年1569年1月15日 - 元亀2年1571年7月21日まで32回みえている。「大胡武蔵守」として多く現れ、「上泉武蔵守(信綱)」などとある。伊勢守とはみえない。 『言継卿記』によると、永禄12年1月15日卜部兼興の子長松丸の訴状に「叔母舅」の大胡武蔵守としてみられる以後武蔵守は言継を訪問するうになる。ただし5月16日から元亀元年1570年5月22日までは年始の挨拶1回のみである。元亀元年5月23日には言継は軍配上泉武蔵守信綱から伝授された。6月28日信綱は従四位下に叙せられたことを言継に語っている。また武蔵守兵法披露するのは元亀元年8月10日梨本宮門跡19日太秦真珠院での2回のみである。元亀2年3月には武蔵守近日在国するとあり、7月2日武蔵守大和国から上京している。7月21日、信綱は京を去り故郷へ向かうことを言継に伝え、言継から下野国結城氏への紹介状得ている。

※この「『言継卿記』の大胡武蔵守」の解説は、「上泉信綱」の解説の一部です。
「『言継卿記』の大胡武蔵守」を含む「上泉信綱」の記事については、「上泉信綱」の概要を参照ください。

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