『綱渡りのオード』
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「テオドール・ド・バンヴィル」の記事における「『綱渡りのオード』」の解説
『女像柱』ではほとんど見られなかった滑稽さ、風刺の追求こそ、1857年の『綱渡りのオード』の特徴である。ここで詩人は完全に同時代を対象とし、台頭するブルジョワ階級や敵対する芸術家の流派を風刺して見せた。また、風刺のひとつの方法として、パロディを大々的に喧伝したことも特徴といえる。 そして、これらの現代性は、詩法上の革新を伴っていた。脱臼したような印象を与える詩句のリズムと文のずれ、16世紀の作家のものでありながら、同時代をうたうことで全く違った味わいをもつようになった定型詩、これらはバンヴィルの詩的技巧を証するものではあるが、以降彼は詩形にのみ拘泥し、思想を欠いた詩人という批判を受け続けることになる。 1869年には『新綱渡りのオード』が出版されている。詩法面の傾向は『綱渡りのオード』とさほど変わりはないものだが、風刺の対象はより具体的に、1860年代のパリ改造や機関銃の発明などを風刺・批判している。後年の普仏戦争を扱った『プロイセン田園詩』、晩年の『われら皆』『鈴と鐘』といった詩集も、同時代を主題としている点、そこに風刺的、皮肉な視点が見られる点で、この系譜につらなる作品と見ることができるだろう。
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