「香本」が現れる文献
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/11/12 18:58 UTC 版)
「香本」なる名称は以下のような文献に現れる。 平瀬本「横笛」巻奥書「本云 貞応二年六月十四日校合了 建長二年卯月廿三日朱点了 同廿四日一校了 同五月六日又校合了 同十二日又校合了 又以他三本校了者可為証本 又以武衛本校了 又以香本一校了 建長六年五月二日又校了 無不審」 なお、同じ平瀬本手習巻の奥書に 「本云 以三本逐一校而巳 後日花本俊本古本高本愚本修一校了可謂証本而巳」 とある「高本」について、「香本」と同じ本を指すのではないかとの見解も存在している。 『仙源抄』「さふらふときこえ給」の条「浦々のまきは中宮に〃〃香本左京権大夫香表紙本也にはさふらはせ給へとあり」 この記述について池田亀鑑は、『仙源抄』の著者である長慶天皇が直接「香本」を見たのではなく、『仙源抄』の元になった『水原抄』に香本についての校異の記述が存在しており。それを元に記述したのであろうとしている。 『光源氏物語抄』(『異本紫明抄』)絵合巻「かのうら/\のまき/\は中宮にさふらふ」に「香本云かのうら/\のまき中宮にさふらはせ給へと云事」と注記 玉鬘巻「まとゐはなれぬみもしそかし」の項目に 「まとゐそはなぬれかし 俊本五条三品禅門香本京北風本」と注記 紅梅巻冒頭部分巻序について「香本にたけかはこうはい」との注記 浮舟巻「きさらきの十日の程にト云事」に「香本にはきさらきのいつかとあり西円」と注記 大島河内本手習巻書き入れ注「俊本 芭蕉ノウスキカコトシ香山馬三本葉ノウスキ花江同前」 この他に「俊本 ウスニヒイロ三本ウスキニヒイロ」との注記があるが、この「三本」について池田亀鑑は「江本・山本・馬本」の三本であろうとしたが寺本直彦は「香本・山本・馬本」の三本であろうとしている。 東屋巻書き入れ注「おそき」の項に「オソキオスキ香本古本」と注記 前田家蔵伝慈寛筆本東屋巻「おそき人」の項に「オソキオスキ香本古本」との注記がある
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