「肉体への愛」と「魂への愛」の区別
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 18:33 UTC 版)
「饗宴 (クセノポン)」の記事における「「肉体への愛」と「魂への愛」の区別」の解説
ソクラテスは、カリアスとアウトリュコスはどちらも有名な父親を持ち、本人たちも名の通った者同士なので、カリアスがアウトリュコスを愛していることは、国全体が知っているし、外国人の多くも知っていると指摘する。 そしてカリアスに対して、贅沢にふける者でも、柔弱な意気地無しでもなく、皆に強さ・忍耐力・勇気・節度を示すアウトリュコスを愛していることに感心するし、それはカリアス自身の性質でもあると讃える。 さらにソクラテスは、愛の神アプロディーテーには、呼称・祭壇・神殿・犠牲式も含め、「肉体への愛」を司る「通俗(パンデーモス)のアプロディーテー」と、「魂・友情・美しき行いへの愛」を司る「天上(ウーラニアー)のアプロディーテー」という2種類の区別があるが、カリアスは後者の愛に憑かれていると指摘する。なぜなら、先に挙げたアウトリュコスの性質に加え、彼とのこうした会合に父親リュコンを受け入れるほどに、その交際が公開的・健全だからだと。 するとヘルモゲネスが、「ソクラテスはカリアスを喜ばせながら、彼に本来あるべき姿を教えている」と指摘し、感心する。
※この「「肉体への愛」と「魂への愛」の区別」の解説は、「饗宴 (クセノポン)」の解説の一部です。
「「肉体への愛」と「魂への愛」の区別」を含む「饗宴 (クセノポン)」の記事については、「饗宴 (クセノポン)」の概要を参照ください。
- 「肉体への愛」と「魂への愛」の区別のページへのリンク