「攻め」と「受け」の関係性に関する議論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 05:55 UTC 版)
「やおい」の記事における「「攻め」と「受け」の関係性に関する議論」の解説
精神科医の斎藤環 やアニメライターの渡辺由美子 によれば、「攻め」と「受け」の関係は、SMにおけるS(サディスト)とM(マゾヒスト)の関係と親和性が高いという。石田仁は、SMという言葉が出現する前は同様のことを「責め/受け」と呼んでいたことに注目し、このうち「責め」が同じ読みの「攻め」に転じてやおい文化に受け継がれた可能性を示している。守如子は「攻め/受け」の定義を拡張してそれぞれ「身体的快楽を与える側/身体的快楽を受ける側」と捉え、この定義を使って(レディース・コミックや男性向けの美少女コミックといった)異性愛を描いたものを含めたポルノグラフィ全般の分析に用いている。 「攻め」と「受け」のジェンダー的な役割分担に関しては、やおいが異性愛秩序に対する対抗なのか、それとも形式的に同性愛の形をとりながらも異性愛を反復しているのか、という議論の論点となる(男性向けのポルノグラフィについての考察でもそれがジェンダー秩序の破壊か強化という2つの立場が存在している)。そのため、やおいというジャンルそのものが、ジェンダー秩序について二面性を持っているのだと弁証法的に説明されることもある。西村マリは、「受け」と「攻め」の役割分担は男女のそれというよりも親子のそれに近いと述べている。
※この「「攻め」と「受け」の関係性に関する議論」の解説は、「やおい」の解説の一部です。
「「攻め」と「受け」の関係性に関する議論」を含む「やおい」の記事については、「やおい」の概要を参照ください。
- 「攻め」と「受け」の関係性に関する議論のページへのリンク