「共に民主党」への党名改称と朴政権弾劾
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「共に民主党」の記事における「「共に民主党」への党名改称と朴政権弾劾」の解説
補選での全敗後、党内では親盧派と非盧派の対立が激化。9月初めには文在寅代表が自身の再信任を党員投票で問う意向を表明したが、党内の反発が強く同月21日に撤回に追い込まれ、直後の22日には党の重鎮議員である朴柱宣国会議員が離党を表明した。また前共同代表で非主流派に位置する安哲秀は、文代表の辞任と党大会での新代表選出を求めたが、拒否されたことを受けて12月13日に離党を表明 するなど、党分裂に向けた動きが加速化した。こうした最中の12月28日、新政治民主連合は党名を「共に民主党」へ改称することを決定。文在寅代表は翌2016年1月13日に党代表を辞任した。 2016年4月の総選挙では首都圏で圧勝し、セヌリ党を僅差で抑えて第一党に浮上したが、強固な地盤であった全羅道では安哲秀が結成した国民の党に圧勝を許した他、比例得票数では第3党に留まった。選挙後の8月27日に行なわれた全党大会で親文派が支援する秋美愛が代表に選出された。なお保守系の地盤である大邱、慶尚北道出身の議員が同党(前身政党も含めて)の代表になるのは初めての事である。 崔順実ゲート事件をきっかけに党への支持率は上昇し、2017年3月の世論調査で政党支持率は46%を記録、過去最高の支持率を更新した。
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