「中の金王路」と「郡内路」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/04 02:13 UTC 版)
「若彦路」の記事における「「中の金王路」と「郡内路」」の解説
『甲斐国志』巻之一堤要部では成沢(南都留郡鳴沢村)から富士北西麓を通過し駿河上井出に至る「中の金王路」の存在を記している。 『国志』では「中の金王路」を大石から駿河上井出に至る若彦路の道筋の一部としているが、末木健、海老沼真治はこれを甲斐源氏が通行した道とは異なるものとし、末木は「中の金王路」を成沢付近で近世以降に材木を搬出されるために作られた道としている。一方で、海老沼は『甲斐国志』において「中の金王路」を『吾妻鏡』に登場する若彦路に結びつけたことには意義があり、戦国期以前の道が存在していた可能性を指摘している。 また、静岡県富士宮市上井出には「郡内道」の小字名が残されている。「郡内」は甲斐国東部の都留郡一帯を指す地域呼称で、上井出から分岐して郡内へ至る「郡内道」の起点を指す地名とされ、その道筋は『国志』に記される「中の金王路と同一の経路であることが指摘される。
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