「ツルの高橋」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 03:36 UTC 版)
獣医師の中川志郎(後に多摩動物公園園長、上野動物園園長、茨城県自然博物館館長、日本博物館協会会長などを歴任した)は、1952年(昭和27年)に上野動物園に臨時作業員として採用された。新規採用者だった中川の最初の飼育実習で指導にあたったのは、すでに嘱託員の立場となっていた高橋であった。 さまざまな動物や鳥類の飼育をこなした高橋が、最もその手腕を発揮したのがツル類の飼育であった。飼育及び繁殖において高い評価を受け、「ツルの高橋」として日本国内だけでなく国外にまで広くその名を知られていた。当時、上野動物園のツル舎は金網のケージで7号室まであり、ツル類7種が飼育されていた。高橋は給餌と掃除を約1時間にわたって行っていたが、その間ケージ内のツルたちはほとんど通常と同じにふるまい、高橋の存在を気にかける様子が見られなかった。しかも掃除後のケージ内の床は白砂に綺麗に箒目がつけられていて、中川の表現によれば「京都・竜安寺の石庭を見る趣」があったという。 ある日、高橋の仕事ぶりをケージの外側から観察していた中川は、「今度はあなたの番ですよ」と声をかけられて箒とちりとりを渡された。中川はそれまで約1か月にわたって見学実習を行い、まめにメモを取って仕事の手順を覚えていたため、自信を持ってツル舎での仕事に取りかかった。しかし、最初の1号室に入った直後にアネハヅル2羽が暴れ出してしまい、危うく中川も負傷するところであった。慌ててツル舎から飛び出した中川に高橋は「ツル舎に入ったらツルにならなきゃ。ツルにはツルの都合というものがあるんだからね…」とさとし、「相手のリズムで仕事をする」という飼育の基本を示したのであった。 中川がツル舎での仕事を始めて2か月ほど経ったころ、ようやくツルは騒がないようになった。ただし、高橋のような「砂上の芸術」までは真似することができなかった。この「芸術」を見るために開園早々に訪れる常連客が何人もいたことを中川は知ることになった。高橋と中川のこのエピソードは、ノンフィクション作家の上前淳一郎がエッセイ集『読むクスリ18』で「ツルになった老人」という題名で取り上げている。
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