「イチジク浣腸」の開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 04:27 UTC 版)
「田村廿三郎」の記事における「「イチジク浣腸」の開発」の解説
大正時代、東京の開業医・田村廿三郎は昼も夜も発熱やひきつけなどを起こした子供の急患の往診に走り回っていたが、その多くが注射器で浣腸を行って排便させると治ることを見つけ、便秘で苦しむ子供を早く楽にしてあげたいという思いから、家庭で簡単に使える浣腸の開発を行った。浣腸の形状には田村廿三郎が往診の時に患者の家の番犬を沁みる液体で撃退するため考案したスポイトを採用した。素材に採用したセルロイドは硬くて割れやすいため、薬液が漏れないよう皮膜を被せた。挿入部は、長すぎると直腸の粘膜を傷付け、短すぎると薬液が直腸に届かないため、肛門から直腸までの長さにした。挿入部の先端の穴は、広すぎると薬液が勢いよく出なく、狭すぎると薬液が少ししか出ないため、ちょうどよい口径に調節した。そして、何よりも、肛門を痛めないように、挿入部を滑らかにする加工技術の向上に多くの時間と心血を注いだ。1953年(昭和28年)に同年から普及し始めたポリエチレンを素材に採用し、セルロイドの欠点を解消した。
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