NTT西日本中国野球クラブ NTT西日本中国野球クラブの概要

NTT西日本中国野球クラブ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/15 15:54 UTC 版)

NTT西日本中国野球クラブ
チーム名(通称) NTT中国クラブ、NTT中国、電電中国
加盟団体 日本野球連盟
加盟区分
創部 1954年
廃部 2003年
チーム名の遍歴
  • 電電中国 (1954 - 1984)
  • NTT中国 (1985 - 1999)
  • NTT西日本中国野球クラブ (1999 - 2003)
本拠地自治体
練習グラウンド NTT広島総合グラウンド(広島市安佐北区
都市対抗野球大会
出場回数 11回
最近の出場 2003年
最高成績 3回戦
社会人野球日本選手権大会
出場回数 7回
最近の出場 1997年
最高成績 ベスト8
全日本クラブ野球選手権大会
出場回数 ※出場資格なし

概要

日本電信電話公社中国支社の硬式野球部『電電中国硬式野球部』として、1954年に創立された[1]1965年都市対抗野球に初出場を果たした。

1985年、日本電信電話の民営化に伴いチーム名を『NTT中国硬式野球部』に改称した。1988年には佐々岡真司を擁して日本選手権でベスト8に進んでいる。

本体の再編にともない1999年1月にNTT東日本硬式野球部NTT西日本硬式野球部が設立され、社内の各野球部はそのどちらかに統合されることが決まった。このため中国野球部からは3人が西日本野球部に移籍し、26人いた部員は21人まで減少した[2]。しかし、廃部にすることはせずに、同年秋より会社の支援のないクラブチームとして存続することになり、チーム名を『NTT西日本中国野球クラブ』に改称、練習は平日の午後5時半に退社して7時半からと土曜日の計4日間のみとなった[3]

2002年にはスタメンの平均年齢は30歳近くになり、スタッフ兼任以外の選手数は15人まで減少しており、翌年での廃部が決まった[3]2003年三瀬幸司を擁して7年ぶりに都市対抗野球に出場。同大会をもって活動を終え、解散した。

沿革

  • 1953年 - 『電電中国硬式野球部』として発足
  • 1965年 - 都市対抗野球に初出場
  • 1978年 - 日本選手権に初出場
  • 1985年 - チーム名を『NTT中国硬式野球部』に改称
  • 1999年 - クラブチームに移行し、チーム名を『NTT西日本中国野球クラブ』に改称
  • 2003年 - 解散

主要大会の出場歴・最高成績

出身プロ野球選手

かつて在籍していた選手


  1. ^ 毎日新聞、1999年7月6日付朝刊、石川地方面
  2. ^ 毎日新聞、1999年2月18日付朝刊、広島地方面
  3. ^ a b 毎日新聞、2003年8月22日付朝刊、広島地方面


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