HCディナモ・モスクワ HCディナモ・モスクワの概要

HCディナモ・モスクワ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/20 08:53 UTC 版)

DYNAMO
ДИНАМО
呼称/略称 ディナモ
愛称 ベラ・ガルビエ(白と青)
チームロゴ オオカミ
所属リーグ KHL
カンファレンス ウエスタン
創設年 1946
本拠地 モスクワ
アリーナ VTBアイスパレス
収容人数 12,100
チームカラー          
運営法人 VTB BANK[1]
代表者 アンドレイ・サフロノフ
ヘッドコーチ ウラジーミル・ヴォロビヨフ
優勝歴

11回 1947,1954,1990,1991, 1992,1993,1995,2000,

2005,2012,2013
ファイナル進出

12回 (1947,1952,1953,1954,1957,

1967,1969,1974,1976,1990,1992,2016)
永久欠番 3, 11
公式サイト http://www.dynamo.ru/
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ディナモ・モスクワはアイスホッケーの他、サッカーバスケットボール女子バレーボールも強豪となっている。 (※FCディナモ・モスクワはシーズン2015/16をロシアプレミアリーグ最下位で終了し、創設以来初めて2部に降格した。[2]

沿革

アイスホッケークラブ・ディナモは1946年11月22日に創設された。 ディナモはソ連で最初のアイスホッケークラブでもある。 1946年12月22日、ディナモはクラブとして最初の公式戦を行い、ヴォドニク・アルハンゲリスクに5対1で勝利を収めた。 ソ連リーグの創設最初のシーズン1946/47にディナモはソ連で最初のチャンピオンになった。

ディナモが次にソ連チャンピオンとなったのは1953/54年のことで、この時の監督はディナモのレジェンド、アルカージー・チェルニショフであった。

3回目にリーグ優勝を果たしたのはソ連崩壊直前の1990年のことで、1954年以来36年ぶりの優勝となった。

ロシアスーパーリーグ

90年代はディナモの黄金期で、1990年から1993年まで4年連続でリーグ優勝を成し遂げる。 1995年にも優勝したが、この時はソ連リーグではなくIHL(インターナショナル・ホッケーリーグ)の優勝だった。

2000年にディナモは5年ぶりのリーグ優勝を達成。この時チームを率いていた監督はかつてディナモの選手だったジネトゥラ・ビリャレディノフであった。

シーズン2004/05は特別なシーズンとなった。NHLのロックアウトのために多くの海外の選手がロシアに渡航し、ロシアリーグに加入した。 デトロイト・レッドウィングスに所属するパーヴェル・ダツュクはディナモに入団し、活躍を見せた。また、この時のディナモにはNHLに移籍する前のアレクサンドル・オベチキンが在籍しており、リーグ優勝を果たす大きな原動力になった。

KHL

2008年にロシアスーパーリーグを母体としてKHLが発足すると、ディナモはそのままKHLに加入。ウエスタン・コンファレンスに所属し、リーグ全体の強豪としての地位を占める。

  • 2010年4月30日、ディナモはホッケークラブHC MVDと合併。チーム名はディナモを引き継いだため、HC MVDは解散した。
  • シーズン2011/12と2012/13にガガーリン・カップで2連覇を成し遂げた。
  • シーズン2013/14は定期試合を首位で終了したが、プレーオフでは第1ラウンドでロコモティフ・ヤロスラブリに敗れた。
  • シーズン2014/15と2015/16は、2年続けてプレーオフの第2ラウンドでSKAサンクトペテルブルクに敗れ、ファイナル進出を逃している。[3]

KHLの成績

Note: GP = Games played, W = Wins, L = Losses, T = Ties, OTL = Overtime/Shootout Losses, Pts = Points, GF = Goals for, GA = Goals against

シーズン GP W L OTL Pts GF GA ディヴィジョン順位 トップスコアラー プレーオフ
2008/09 56 27 17 2 100 184 143 チェルニショフ2位 Dmitry Afanasenkov (35Pts: 19G, 16A; 56 GP) 準決勝敗退, 2–4 (アクバルス・カザン)
2009/10 56 28 16 3 101 166 151 ボブロフ2位 Mattias Weinhandl (60Pts: 26G, 34A; 56GP) 準々決勝敗退, 1–3 (HCスパルタク・モスクワ)
2010/11 54 28 16 4 96 149 131 ボブロフ1位 Konstantin Gorovikov (38Pts: 11G, 27A; 54GP) 準々決勝敗退, 2–4 (ディナモ・リガ)
2011/12 54 35 15 4 105 144 115 ボブロフ2位 Marek Kvapil (29Pts: 12G, 17A; 53 GP) ガガーリン・カップ優勝, 4–3 (アヴァンギャルド・オムスク)
2012/13 52 36 14 2 101 150 115 ボブロフ2位 アレクサンドル・オベチキン (40Pts: 19G, 21A; 31GP) ガガーリン・カップ優勝, 4–2 (トラクトル・チェリャビンスク)
2013/14 54 38 11 5 115 171 113 タラソフ1位 Maksim Karpov (34Pts: 11G, 23A; 48GP)
Leo Komarov (34Pts: 12G, 22A; 54GP)
準々決勝敗退, 3–4 (ロコモティフ・ヤロスラブリ)
2014/15 60 41 13 6 123 172 120 タラソフ2位 Kaspars Daugavins(37Pts:22G,15A;56GP) 準決勝敗退, 1–4 (SKAサンクトペテルブルク)
2015/16 60 35 17 8 105 167 126 タラソフ4位 Tsvetkov Alexey (39Pts:7G,32A;58GP) 準決勝敗退, 2–4 (SKAサンクトペテルブルク)
2016–17 60 39 16 5 112 164 111 タラソフ2位 Martins Karsums (34 Pts: 16 G, 18 A; 52 GP) コンファレンス準決勝敗退, 1–4 (SKAサンクトペテルブルク)

ファームクラブ

ディナモにはKHL以外にも下記のファームクラブがある。

HC ディナモ・バラシハ

HC ディナモ・バラシハはKHLのマイナーリーグに当たるスプリーム・ホッケー・リーグ(SHL)に所属する、ディナモ・モスクワのファームクラブである。[4] バラシハはモスクワ州の東部にある町で、ディナモ・バラシハの本拠地は「アリーナ・バラシハ」である。 シーズン2015/16は定期試合を全26チーム中12位の成績で終了し、プレーオフにも進出した。[5] 2015年12月28日、ディナモ・モスクワの監督だったハリス・ヴィトリンスがシーズン半ばで解任され、ディナモ・バラシハの監督だったセルゲイ・オレーシキンがディナモ・モスクワの監督に就任した。[6]

HC MVD

HC MVDは20歳以下の選手がプレーするジュニア・ホッケー・リーグ(JHL (ロシア))に所属する、ディナモのファームクラブ。[7] 2010年にディナモと合併して解散したHC MVDと同じ名前だが別のクラブである。MVDとはMinisterstvo vnutrennikh del(内務省)のことであり、かつてディナモが内務省の支援を受けていたことに由来している。 SHLのディナモ・バラシハと同じくバラシハを本拠地とする。シーズン2015/16の成績は中の下といったところで、JHLのウエスタン・コンファレンス15チーム中10位の成績でシーズンを終了し、プレーオフには進めなかった。[8]




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