鳥津 鳥津という地名が出てくる古文書

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鳥津

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/02/03 12:53 UTC 版)

鳥津という地名が出てくる古文書

室町時代中期に活躍した禅僧・歌人である万里集九が書き記した「梅花無尽蔵注釈」には、以下のような記述がある。 「諱は厳超、字は然そう。迺ち、石城の人なり。其の境に鳥津有り。十里の松有り。是を捨てて東遊し、士峯を看、學くわうをたづね、且、又、芳を洞上の宗師に尋ぬ。留止すること、凡そ一十有三霧。相陽の太守、雁釣閣下の幕府に往来す。今、西省の日に及んで、閣下、余を督し、陽くわんの新曲を作ら令めて云ふ。(石城とは即ち博多なり。鳥津は又、冷泉津がうす。)」

通釈「本名を厳超、字を然そうと云うが、この方は博多の人である。その地には鳥津(とりのつ)という所があり、また「十里の松」もある。こうした名勝の地を棄てて、関東に遊学し、富士を眺め、学校を尋ね、また曹洞宗の高層の下に法を学び、およそ十三年間、止まった。そして相模の国守で上杉定正閣下の本拠に往来していた。今、西の故郷に帰るにあたり、上杉閣下は私に命じて、新しく送別の詩を作らせた次第である。(石城というのは、博多のことである。鳥津は、また冷泉の津とも云ふ。)」

伊予灘側の集落

伊方町の伊予灘側の集落は、江戸時代末期に宇和海側集落からの移住者によって作られた集落が多く、親村と子村の関係にある。九町越の東隣の伊方越漁港は小規模な漁港で、兼業の釣りや採藻、刺し網などの漁家である。東隣の鳥津・大成は現在、宇和海側集落と町見漁業協同組合を構成している。鳥津は海岸のわずかな磯浜に続く必従谷斜面に立地する集落である。[11]

漁業方法の推移

鳥津漁港が開拓されてからは、宇和島藩が推奨していたイワシ網が中心であったが、現在では刺し網・小型底びき網が中心である。

記念碑

鳥津開拓120年に当たる昭和60年6月、鳥津開拓の先駆者として、その遺徳をしのび頌徳碑(鳥津部落開拓之祖 鳥津茂市翁頌徳碑)が建てられた。 頌徳碑の文字はすべて愛媛県知事白石春樹氏(当時)の直筆である。


  1. ^ 藤岡謙二郎(編)『岬半島の人文地理 ― 愛媛県佐田岬半島学術調査報告』大明堂 1966年[要ページ番号]
  2. ^ 加戸宏平(編)『自治行政録愛媛編昭和五十年記念』地方人事調査会 1977年p551
  3. ^ 町見村役場 『町見村郷土誌』p29
  4. ^ 伊方町誌改訂編集委員会編著 『伊方町誌』1987年3月31日 p785
  5. ^ 伊方町誌改訂編集委員会編著 『伊方町誌』1987年3月31日 p1315
  6. ^ 藤岡謙二郎(編)『岬半島の人文地理 ― 愛媛県佐田岬半島学術調査報告』大明堂 1966年p261
  7. ^ 伊方町誌改訂編集委員会編著 『伊方町誌』1987年3月31日 pp785~786
  8. ^ 久保高一編著 『浦々鰯網前網代改帳簿全』1986年7月1日pp52~53
  9. ^ 久保高一編著 『浦々鰯前網代改帳簿 全』1986年7月1日pp53
  10. ^ 角川日本地名大辞典[要ページ番号]
  11. ^ 渡部文也・高津富男著『えひめブックス23 伊予灘漁民誌』財団法人愛媛県文化振興財団、平成13年3月30日 p209~211


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