野麦峠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 22:54 UTC 版)
野麦街道最大の難所
野麦峠は、野麦街道の野麦峠越えの道の途中に「お助け小屋」とよばれる避難小屋があるほど、交通の難所として知られている[2]。明治時代には飛騨地方で現金収入が乏しく貧しい農村の13歳前後の少女たちが、諏訪湖畔の製糸工場まで野麦峠を越えて通っており、年の暮れに稼いだ金を故郷へ届けるために、雪深い冬の険しい野麦峠を徒歩で再び越えて飛騨へ向かっていた[3]。厳冬期の野麦峠は猛吹雪や雪崩にも見舞われ、野麦峠越えの途中で(遭難して)命を落とす少女たちも少なくなかったといわれる[3]。
資料施設
天保の頃に頂上に建てられた「お助け小屋」は長年放置され第二次世界大戦の終戦直後に積雪で倒壊していたが、休憩などの観光施設として再現されることになり、1970年(昭和45年)10月にオープンした[1]。
1991年には野麦峠の歴史を紹介する映像や、長野県の製糸工場に働きに出た工女の様子を紹介する資料館「野麦峠の館」が開館した[7]。しかし、老朽化等により2022年3月末に閉館することになり、資料の一部は隣接する観光施設「お助け小屋」に移して展示されることになった[7]。
脚注
参考文献
- 浅井建爾『日本の道路がわかる辞典』日本実業出版社、2015年10月10日、初版。ISBN 978-4-534-05318-3。
- ロム・インターナショナル(編)『道路地図 びっくり!博学知識』河出書房新社〈KAWADE夢文庫〉、2005年2月1日。ISBN 4-309-49566-4。
関連項目
野麦峠と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
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