逆瀬川仁次郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/04 06:21 UTC 版)
経歴
鹿児島県姶良郡敷根村(現在の霧島市)出身[3]。鹿児島県立加治木中学校 (旧制)を卒業して東京高等師範学校に進むが退学[4]。第一高等学校 (旧制)を卒業し[4]、1916年(大正5年)東京帝国大学法科大学政治科を卒業。大阪毎日新聞社に勤務した。
1924年(大正13年)の第15回衆議院議員総選挙に政友本党で立候補して落選するが、1926年(大正15年)11月1日の衆議院鹿児島7区補欠選挙で当選[4][5]。
参考文献
- 衆議院・参議院編 『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。
- 南日本新聞社『郷土人系 上』春苑堂書店、1969年。
- 1 逆瀬川仁次郎とは
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