盧道虔 盧道虔の概要

盧道虔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/14 03:21 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

経歴

盧淵の四男として生まれた。経書や史書を手すさびに概略を学び、合わせて算術に通じた。孝文帝の娘の済南長公主を妻に迎えた。公主は不倫のため悪名高かったが、若くして死去した。病の徴候のない突然の死であったため、道虔が殺害したものと当時の世間に噂された。宣武帝は醜聞を隠すため、事実を究明しなかった。尚書の推挙により、道虔は国子博士となった。霊太后が公主死去の事件を追及して、道虔は民に落とされ、終身の出仕禁止を言い渡された。527年孝昌3年)、臨淮王元彧が渦陽救援のために出征することとなると、道虔は奉車都尉に任じられた。永安年間、輔国将軍・通直常侍の位を受けた。まもなく征虜将軍の号を加えられた。勲功を論じられ、臨淄伯の爵位を受け、散騎常侍の位を受けた。東魏の天平初年、征南将軍の号を受け、都官尚書・幽州大中正に転じた。後に驃騎将軍・幽州刺史として出向した。まもなく衛大将軍の号を加えられ、在官のまま死去した。都督幽瀛二州諸軍事・驃騎大将軍・尚書右僕射・司空公瀛州刺史の位を追贈された。は恭文公といった。

妻子

  • 済南長公主(盧昌宇・盧昌仁を生んだ)
  • 司馬氏(盧昌裕を生んだ)
  • 元氏(盧昌期・盧昌衡を生んだ)

  • 盧昌宇
  • 盧昌仁(早逝)
  • 盧昌裕
  • 盧昌期
  • 盧昌衡(字は子均)

  • 女(右衛将軍郭瓊の子の妻)

伝記資料




「盧道虔」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「盧道虔」の関連用語

1
12% |||||

2
12% |||||

3
12% |||||

4
10% |||||

5
6% |||||

盧道虔のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



盧道虔のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの盧道虔 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS