海津英志
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/21 07:23 UTC 版)
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名前 | ||||||
カタカナ | カイヅ エイシ | |||||
ラテン文字 | KAIZU Eishi | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1967年3月21日(56歳) | |||||
出身地 | 三重県四日市市 | |||||
身長 | 173cm | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
利き足 | 右 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
1990-1999 | 三重教員/マインドハウス四日市 | ? (?) | ||||
2012 | ヴィアティンFC | 3 (1) | ||||
監督歴 | ||||||
1991.4-1994.3 | 暁中学校サッカー部 | |||||
1994.4-2011.3 | 暁高校サッカー部 | |||||
2014-2018 | ヴィアティン三重 | |||||
2019-2021 | WYVERN | |||||
2022- | アルテリーヴォ和歌山 | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2016年現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
日本サッカー協会公認S級コーチライセンス、FIFAグラスルーツ指導員、JFAスポーツマネージャー(GRADE2)を保持している。
来歴
中京大学を卒業後、現役時代はマインドハウス四日市などに所属し、主将としてプレーした。国体成年選抜選手としても活躍、21年間教員として勤務し、暁高校サッカー部監督としてインターハイへ、全国高校選手権出場へ導く。
2012年ヴィアティン桑名の発足に際し、コーチに就任。2014年にドランチャーニュ・オヴィデューの退任に伴い監督に昇格すると、この年のリーグ戦は同時昇格のFC.ISE-SHIMAと2分けした以外は全勝し優勝。第49回東海社会人サッカートーナメント大会Bブロックでも優勝し、東海リーグ2部昇格を果たした。三重県社会人サッカー選手権ではFC鈴鹿ランポーレに敗れて2年連続の準優勝に終わったものの、三重県選手権(天皇杯三重県代表決定戦)ではFC鈴鹿ランポーレに3-2で雪辱を果たし、チームの天皇杯初出場に導く。1回戦を突破し、2回戦ではJ1・セレッソ大阪に2-4で敗退したものの、格上相手に延長戦まで追い込む戦いを見せた。
翌2015年、東海リーグ2部では第8節・名古屋サッカークラブ戦に敗れ、最終節のFC伊勢志摩戦に引き分けた以外は全勝。昇格初年度で初優勝を決めて1部昇格を果たした。
2016年東海リーグ1部ではFC刈谷、鈴鹿アンリミテッドFCに次ぐ3位に終わったものの、第52回全国社会人サッカー選手権大会でチームを3位に導き、全国地域サッカーチャンピオンズリーグ2016の参加権を獲得した。全国地域サッカーチャンピオンズリーグでは、1次ラウンドを1位で通過し決勝ラウンドに進み、決勝ラウンドでは、最終戦に同じ三重県勢同士の対決となった鈴鹿アンリミテッドFCとの試合に勝利したことで、2位以内を確定させチームをJFL昇格に導いた。
2021年12月9日、アルテリーヴォ和歌山の監督になることが発表された[1]。
所属クラブ
- ^ 『海津英志氏 トップチーム監督就任のお知らせ』(プレスリリース)アルテリーヴォ和歌山、2021年12月9日 。2021年12月9日閲覧。
- ^ 新型コロナウイルスの影響により全試合消化できないため、リーグ戦は不成立。
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