時計台
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/15 07:21 UTC 版)
概要
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時計台は小塔に時計を備える形がよく知られており、時計の文字盤は建物の正面のみの場合もあるが、複数の方向や往々にして4方向に設置されることもある。大きな鐘で時刻を告げるものや一定の旋律に合わせて、メロディを奏でるものなどがある。
今日では時計台の大半は街のランドマークとして美的な景観を作り出す面が大きい。以前は時計本来の目的である計時機能が重要な役割を果たしていた。20世紀半ば以前は、大半の人達は、腕時計や懐中時計といった自分の時計を持ち歩かず、時計台の時報を当てにしていたからである。
機械式時計はヨーロッパでは10世紀にはその記録がみられ、14世紀ごろには各地に今に遺る時計塔が建設されている(詳しくは「時計の歴史」参照)。17世紀には振り子時計や懐中時計が実用化されているが、今に比べて高価であったり大型であったりしたため、街中で時刻を共有するためには時計塔は欠かせなかった。また懐中時計などが普及した近代においてもクォーツ時計ほどには正確でなかったため、時計台の時報で自分の懐中時計の時刻を修正することが少なくなかった。現在でもヨーロッパの古い街並みでは、個人が時計を持たなくとも不便を感じないほど街の各所に時計台が残るところがある。
従って時計台は街の中心付近に建てられ、街の中で最も高い建物であることが多かった。各地の小学校や旧制中学校、大学、役所や時計店などでも象徴として時計台が築かれた例が多くあったが、そういった古い時計台の大半は建物や時計機械自体の老朽化、被災によって消えていった。
時計台と同じ種類の言葉
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