春日家系譜 高坂弾正 子孫のうち 岡山-大阪系 系譜略歴

春日家系譜 高坂弾正 子孫のうち 岡山-大阪系

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/23 07:06 UTC 版)

系譜略歴

岡山での春日家の系譜については、岡山大学に保管される『先祖御奉公之品書上』[8]に記載されている。それによると、江戸初期には池田家の殿様の料理人をして江戸に何度も往復していた事が分かる。お殿様の健康に直接的に影響する料理人をしていたという事は相当に信頼されていたであろうことと、当時は料理人が医者も兼ねていた(医食同源)であろうことから江戸後期に医者となった道筋が見えてくる。

  • 始祖 高坂弾正
  • 二世 高坂源右衛門 - 天生8年 備前の金吾中納言(小早川秀秋)に仕える。文禄元年某月2日没。墓は岡山 瑞雲寺の故金吾殿の廟所の側に小石碑を建てて夫妻を祭った。戒名は高雲院顕嶺不穏居士。
  • 三世 堀江助左衛門 - 慶長8年 池田武蔵守に仕える。母方の堀江姓を名乗る。武蔵守殿が早世したので池田光政に仕え、因幡鳥取の城や備前岡山の城に仕えた。正保元年6月17日没。墓は父母の墓の西隣に葬。別系の子息である堀江甚左衛門(助左衛門の長男か?)に繋がる "堀江家先祖并御奉公之品書上[9]"は岡山大学図書館に保管(堀江権平 著)されている。
  • 四世 堀江助左衛門 - 光政綱政に仕える。奉地150石。宝永4年10月7日没。戒名は、勇猛院宗忠日義居士。 
  • 五世 堀江善五郎(行安)- 綱政継政に仕える。
  • 六世 堀江源右衛門秀明(守義)- 継政宗政治政に仕える。
  • 七世 堀江助左衛門(祐章)- 継政宗政治政斉政に仕える。
  • 八世 高坂松大夫誠明[10] - 斉政に仕える。文化9年 堀江助五郎を改姓名 文政2年岡山を退去し大阪へ出て医業を始める。
  • 九世 春日寛平(松大夫・次男)- 江戸末期から明治にかけて大阪での医者
  • 十世 春日育造[11] - 寶塚病院院長
  • 十一世 春日健造[12] - 名古屋衛戍病院長 陸軍軍医少将 従四位勲三等
  • 十二世 春日誠次[13] - 東京大学医学部卒 関東逓信病院副院長 従四位勲三等
  • 回陽春日先生(春日寛平)の墓[14]
  • 載陽先生配土肥氏 の墓
  • 春日蕙山の墓 墓碑文に高坂弾正の末裔であると記載がある。(関西大学の伯園書院Web)
  • 春日蕙山配青山氏の墓 母:青山氏の葬儀には1000人以上、うち槍を持った者が167人参列し、春日家菩提寺である龍海寺が人で溢れたとのこと。龍海寺は緒方洪庵の墓所でもあり、交流の深さをうかがい知ることが出来る。
  • 寛平の姉:春日 鼎[15] 鼎は舊備前藩士春日蕙山の娘で、父に伴はれて大阪に移つた。【土肥治輔の妻】年二十堺奉行所の與力土肥治輔に嫁し、善く姑に事へた。【貞節】既にして三十六歳夫を亡ひ、子無きを以て生家に還り、其母に侍した。【佛道に入る】遂に佛道に入り、白鳳和尚に就いて剃度し、智鏡と稱した。又兵庫祥福寺の匡道和尚に參禪すること數年、一日忽ち恬然として契悟した。【墓所】安政六年七月朔日享年五十三歳を以て歿し、大阪天滿東寺町龍海寺に葬つた。法諡を靈光院明臺智鏡尼上座といふ。






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