山縣農場 バス路線と表記

山縣農場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/18 03:50 UTC 版)

バス路線と表記

1951年(昭和26年)9月21日に国鉄バス 関東地方自動車局路線として、上伊佐野ー山県農場(山県農場線)が開通した。これは1937年(昭和12年)矢板線(関谷宿ー矢板)の枝線として、山縣農場までを繋いだものであった。矢板線はのち矢板北線となり、また国鉄民営化にともないジェイアールバス関東西那須野支店の運行となっていたが、バス路線の順次廃止の波の中、山県農場線も1992年(平成4年)3月31日に廃止となった。

バス路線名及び停留所名表記は戦後の当用漢字に沿い、路線名「山県農場線」、停留所名「山県農場」であった。

[15]

参考文献

  • 森勝蔵 著、石川健 校訂『伊佐野農場図稿』 山縣睦子・石川明範 解説 草思社 2000年 ISBN 4794209150 [1]
  • 山縣睦子『木を育て 森に生きる』 草思社 1998年 ISBN 4794208421
  • 鈴木博之 監修、和田久士 写真『元勲・財閥の邸宅―伊藤博文、山県有朋、西園寺公望、三井、岩崎、住友…の邸宅・別邸20』JTBパブリッシング 2007年 ISBN 4533066097
  • 徳富蘇峰『公爵山縣有朋伝 上・中・下』明治百年史叢書 第88-90巻(昭和8年の復刻版) 原書房 1969年
  • 藤森照信 著、増田彰久 写真 『建築探偵雨天決行』 朝日新聞社 1989年 ISBN 402256007X

関連資料

  • 石川明範「『伊佐野農場図稿』にみる明治二十年代の山縣農場ーあるいは『農場の博物誌』」栃木県立博物館研究紀要第11号別冊、1994年3月
  • 地図「明治期の主な大農場と那須疎水」(栃木県作成)『木を育て 森に生きる』に掲載
  • 矢板市史編集委員会/編『矢板市史』 矢板市 1981年
  • 『山縣農場要覧』山縣農場事務所刊 昭和12年

関連項目


  1. ^ 周辺地図
  2. ^ 藤森照信は那須野が原の大農場を「プランテーション別荘」と呼んでいる(『建物探偵雨天決行』92-107ページ)。
  3. ^ 『元勲・財閥の邸宅』38-39頁
  4. ^ 伊佐野は明治維新までは地元の入会地であって、明治になってから官有地に繰り入れられたものの、地元民にとっては依然として落ち葉・草・薪を得る場所であり続けていた。山縣はこの権利を保障し、払い下げについて地元の了解を取り付けた。
  5. ^ 「山縣農場の成立事情と山縣有朋の理想」『木を育て 森に生きる』86-101頁
  6. ^ いんなみ じょうさく、1832年 - 1888年
  7. ^ やいた たけし、1849年 - 1922年
  8. ^ 山縣有朋記念館・展示品説明
  9. ^ もり かつぞう、1848年 - 1916年 旧久留里藩
  10. ^ 『伊佐野農場圖稿』300ページ
  11. ^ 栃木県指定文化財一覧(建物)
  12. ^ 矢板市ホームページ・「山縣有朋記念館別館」が国登録文化財になります
  13. ^ 山縣有朋記念館別館 - 文化遺産オンライン
  14. ^ 岩波昭彦ホームページ収蔵作品
  15. ^ http://www.magame.jp/fumo/jnr400.html 不毛企画 乗り物館(のりものやかた) 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 関東地方自動車局


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