小矢部市立大谷中学校 沿革

小矢部市立大谷中学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 10:46 UTC 版)

沿革

  • 1984年開校[2]
  • 校名の「大谷」の由来は創立に際し多額の寄付[3][4]を行った実業家の大谷勇の姓から。大谷勇は小矢部出身の実業家大谷米太郎・竹次郎兄弟の身内(養子)で、少年時代貧しく学校にまともに通えなかったことから教育関係への寄付に熱心だった養父・竹次郎の遺志を継いで本校の設立を実現した[5]

施設

松本正雄 (小矢部市長) の市政方針に則り、世界各地の有名建築を集合させた設計の建物になっている。 本校舎の塔屋は東京大学安田講堂、正面は東京大学教養学部、塔の先はイギリスのクライスト・チャーチ (オックスフォード大学)学生寮、体育館は大阪市中央公会堂、内部は国立劇場、南正門はベルサイユ宮殿の門、東門は瑞鳳門、西門は清峰門、北門は凱旋門、野外音楽堂は日比谷野外音楽堂、教育記念塔(大谷勇からの寄贈)はアルバート記念碑、クラブハウスのドームはフィレンツェ大聖堂を参考にしている[6]

通学区域

大谷小学校校区[7]

周辺

著名な出身者

関連項目

脚注

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外部リンク


  1. ^ 小矢部市立学校設置条例 別表(第2条関係)
  2. ^ 田園に「ビッグベン」 富山・小矢部のメルヘン建築”. 日本経済新聞 (2019年10月25日). 2022年1月29日閲覧。
  3. ^ 名誉市民|小矢部市ホームページ”. 2022年1月29日閲覧。
  4. ^ 公益財団法人大谷教育文化振興財団|財団概要 歴史・先人足跡”. 2022年1月29日閲覧。
  5. ^ 財団概要大谷教育文化振興財団
  6. ^ 創造と継承が交わる地平 : 人々が紡ぐ小矢部 小矢部に根付くメルヘン : 建築から市の象徴へ(吉田彩夏)富山大学、地域社会の文化人類学的調査29 2020-02-28
  7. ^ 小矢部市立小中学校の通学区域の設定に関する規則 別表(第1条関係)


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