勝ち組
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参考文献
- 諏訪, 三男「勝ち組,負け組抗争を通じたブラジル日本人移民の心性の変遷について -新しい精神の形成を求めて-」『社学研論集』第16巻、早稲田大学大学院社会科学研究科、2010年9月25日、63-73頁、2016年7月15日閲覧。
- 仁平, 尊明「丸山浩明編著:ブラジル日本移民‐百年の軌跡‐」『地理学評論 Series A』第83巻第6号、日本地理学会、2010年、654-655頁、doi:10.4157/grj.83.654、2016年7月15日閲覧。
- 国立国会図書館 (2009年). “ブラジル移民の100年>第6章 日系社会の分裂対立>(1) 勝ち組と負け組”. 国立国会図書館. 2016年7月14日閲覧。
- 太田, 恒夫『「日本は降伏していない」‐ブラジル日系人社会を揺るがせた十年抗争』文藝春秋、1995年。ISBN 4163501703。
- 高木, 俊朗『狂信:ブラジル日本移民の騒乱』 2巻、ファラオ企画〈ファラオ原点叢書〉、1991年。ISBN 489409102X。
- 岡安, 彦三郎「南米の視察より歸りて」『金属表面技術』第3巻第3号、表面技術協会、1952年6月、87-91頁、doi:10.4139/sfj1950.3.87、2016年7月14日閲覧。
外部リンク
- ^ a b c 諏訪 2010, p. 68.
- ^ a b c d e f g h 国立国会図書館 2009.
- ^ 国立国会図書館 (2009)は、日本からの短波放送によって「トッコウタイ」(=特攻隊)という言葉の発音だけを聴き、それに「特行隊」という漢字を当てたものだと説明している。
- ^ 諏訪 (2010, p. 68)は、「フルネーム」は「特別行動隊」としている。
- ^ 諏訪 (2010, p. 68)では、同時期にサンパウロ州ツパーンで日本人青年7人がある農家にやってきたブラジルの「官憲の首領」を殺害したことが勝ち組と負け組の「抗争」のきっかけだった、としている。
- ^ 岡安 (1952, p. 90)では、岡安がブラジルを訪問した1952年3-5月頃には、対立は既に収まっていた、としている。
- ^ 日本の各県がブラジルの農地を買い上げ、各県出身の日系移民に土地を割り当てるために締結していた契約(諏訪 2010, pp. 66–67)
- ^ 「ノンフィクション 高木俊朗の「狂信」」『読売新聞』、1970年9月2日、5面。
- ^ 高木 1991, p. あとがき.
- ^ ブラジル日系移民 「コダマ」によみがえる悪夢 敗戦時、日本円を売った黒幕『朝日新聞』1976年3月8日夕刊、3版、9面
- ^ a b 岡安 1952, p. 90.
- ^ 終戦間もないインド収容所 邦人17人殺される『朝日新聞』1976年(昭和51年)5月31日朝刊、13版、3面
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