上野勘助 上野勘助の概要

上野勘助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/27 02:30 UTC 版)

経歴

紀伊国那賀郡、のちの和歌山県那賀郡上岩出村[3](岩出町[4]を経て現岩出市)で、大庄屋を務める家に生まれた[5]。1887年(明治20年)慶應義塾別科を卒業し[2][3]、1898年(明治31年)東京法学院(現中央大学)を卒業した[2][4]

1898年(明治31年)3月、第5回衆議院議員総選挙で和歌山県第2区から自由党所属で出馬して当選し、衆議院議員を1期務めた[2][5][3][4]

その後、北海道開拓を志し、幌向原野(現岩見沢市)に入植して農場を営んだ[2][5][3][4]。1910年(明治43年)と1913年(大正2年)に空知支庁管内から北海道会議員に選出された[2][5][3][4]。晩年に立憲同志会に入党した[5]。1913年12月から病となり[5]、1914年1月に札幌区立病院で死去した[3]

参考文献

  • 金子郡平・高野隆之編『北海道人名辞書』北海道人名辞書編纂事務所、1914年。
  • 『大正過去帳 物故人名辞典』東京美術、1973年。
  • 和歌山県史編さん委員会編『和歌山県史 人物』和歌山県、1989年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。

  1. ^ 『北海道庁統計書 第26囘 第1巻』(北海道庁、1916年)p.181
  2. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』696頁。
  3. ^ a b c d e f g 『大正過去帳』35頁。
  4. ^ a b c d e f 『和歌山県史 人物』53-54頁。
  5. ^ a b c d e f 『北海道人名辞書』525頁。


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