ヴィンチェンツォ1世・ゴンザーガ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/06/19 17:23 UTC 版)
グリエルモ・ゴンザーガと妃エレオノーラ(皇帝フェルディナント1世の娘)の長子として生まれた。
芸術・科学の偉大な庇護者であり、マントヴァを文化中心都市として発展させた。ヴィンチェンツォは、作曲家クラウディオ・モンテヴェルディと画家ピーテル・パウル・ルーベンスを雇い入れた。彼は詩人トルクァート・タッソと友人であった。占星術師ジョヴァンニ・アントニオ・マジーニを、息子フランチェスコとフェルディナンドの家庭教師にした。
1603年から1604年にかけての冬、ガリレオ・ガリレイはマントヴァ宮廷を訪問し、給料のもらえる仕事を求めたが、ヴィンチェンツォに雇われなかった。ガリレイは金の鎖と2つの銀皿を与えられただけだった。
家族
1581年、マルゲリータ・ファルネーゼ(パルマ公アレッサンドロ・ファルネーゼの娘)と結婚。のち結婚無効を申し立てた。
1584年、エレオノーラ・デ・メディチ(フランチェスコ1世・デ・メディチの娘)と結婚。6子をもうけた。
- フランチェスコ4世(1586年 - 1612年)
- フェルディナンド(1587年 - 1626年) 1607年より枢機卿。1612年、長兄フランチェスコが男子のないまま死去し、還俗して公位継承
- グリエルモ・ドメニコ(1589年 - 1591年)
- マルゲリータ(1591年 - 1632年) ロレーヌ公アンリ2世妃
- ヴィンチェンツォ2世(1594年 - 1627年) 1615年より枢機卿。1626年、次兄フェルディナンドが男子のないまま死去し、還俗して公位継承
- エレオノーラ・ゴンザーガ(1598年 - 1655年) 皇帝フェルディナント2世の2度目の皇后
また、マルゲリータ・ファルネーゼとの結婚が破れた後に、彼の男性としての能力を試す試験台になったジュリア・デリ・アルビッツィとの間にも息子が一人いた。
備考
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- 1 ヴィンチェンツォ1世・ゴンザーガとは
- 2 ヴィンチェンツォ1世・ゴンザーガの概要
固有名詞の分類
ゴンザーガ家 |
ルドヴィーコ2世・ゴンザーガ バルバラ・ゴンザーガ ヴィンチェンツォ1世・ゴンザーガ フェルディナンド・カルロ・ゴンザーガ=ネヴェルス フェデリーコ1世・ゴンザーガ |
マントヴァ公 |
フェデリーコ2世・ゴンザーガ グリエルモ・ゴンザーガ フランチェスコ3世・ゴンザーガ ヴィンチェンツォ1世・ゴンザーガ フェルディナンド・カルロ・ゴンザーガ=ネヴェルス |
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