ロバート・ナイト (初代カーロウ伯爵) ロバート・ナイト (初代カーロウ伯爵)の概要

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ロバート・ナイト (初代カーロウ伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/28 00:33 UTC 版)

ジョージ・ナップトンによる肖像画、1748年/1749年。

生涯

ロバート・ナイト(1675年11月30日 – 1744年11月8日、ロバート・ナイトの息子、南海会社の創設者の1人)と妻マーサ(Martha、旧姓ポウェル(Powell)、1681年洗礼 – 1718年、銀行家ジェレマイア・ポウェルの長女)の息子として[2]、1702年12月17日に生まれた[3]。妹にキャサリン(Catherine、1704年 – 1736年)とマーガレッタ(Margaretta、1713年 – 1739年)がいる[2]。1719年6月22日、オックスフォード大学ウォダム・カレッジ英語版に入学した[4]。同年にインナー・テンプルにも入学した[1]。オックスフォード大学では学位を修得せず、法律家に向けての勉強も南海泡沫事件により父とともにフランスへの逃亡を余儀なくされて中断した[5]。以降父が20年ほどフランスに滞在した一方[2]、事件に関与していないナイトは本国とフランスを行き来した[5]

1729年までにロンドンのグローヴナー・ストリート(Grosvenor Street)に住居を構えるようになり、地方では1730年にウォリックシャーアレンホール英語版近くにあるバレルズ・ホール英語版を親族レイリー・ナイト(Raleigh Knight)から購入した[5]1734年イギリス総選挙グレート・グリムズビー選挙区英語版から出馬して当選、1741年イギリス総選挙でも再選した[6]。議会でははじめ野党派ホイッグ党に属したが、後に与党に転じ、1739年にスペインとのパルド協定英語版に賛成票を投じた[1]

1742年に首相ロバート・ウォルポールが辞任すると、父がすでに20万ポンド以上の財産を没収されたため、十分な刑罰になっていると主張して、父への恩赦を勝ち取った[1]。父は1743年5月に帰国したが、1744年11月8日に死去[2]、ナイトがラクスバラ(Luxborough)での領地を継承した[5]。その後も1745年ジャコバイト蜂起の鎮圧にヘッセン傭兵を送ることに賛成するなど政府を支持して[1]、1745年8月8日にアイルランド貴族であるシャノンのラクスバラ男爵に叙された[3][7]

1747年イギリス総選挙第2代オーフォード伯爵ロバート・ウォルポールの支持を得てキャッスル・ライジング選挙区英語版で当選した[1]1754年イギリス総選挙ではグレート・グリムズビーで立候補したが、候補者が3人いたため選挙戦になり、首相初代ニューカッスル公爵トマス・ペラム=ホリスは候補者のうちラクスバラ男爵が最弱であると推測し、ラクスバラは実際に投票までに立候補を諦めた[8]1761年イギリス総選挙では息子ヘンリーを支持してグレート・グリムズビーで当選させ、自身もグリムズビーの市裁判所判事に選出された[8]。そして、1762年8月にヘンリーが死去すると、ラクスバラ男爵は自ら立候補して当選した[8]

2度目の議員期ではビュート伯爵内閣(1762年 – 1763年)とグレンヴィル内閣(1763年 – 1765年)を支持[9]ジョージ・グレンヴィルの首相就任直後の1763年5月14日にアイルランド貴族であるカーロウ伯爵カーロウ県におけるバレルズ子爵に叙された[3][10]第1次ロッキンガム侯爵内閣(1765年 – 1766年)に対しては野党の立場にあり、1766年2月に印紙法廃止に反対票を投じた[9]1768年イギリス総選挙では再選に失敗し、以降カーロウ伯爵のグレート・グリムズビーにおける勢力は消滅した[8]

1770年5月18日にバス勲章を授与されたが[3]、その代償として1770年5月にミルボーン・ポート選挙区英語版で立候補し、3,000ポンドを費やして(5,000ポンドとも[5])当選した上で政府を支持しなければならなかった[9]。そのため、1770年のフォークランド危機をめぐるスペインとの協定では賛成票を投じた[9]

1772年3月30日に死去、はじめはバレルズ・パークの納骨所に埋葬されたが、1830年に強盗に入られたため、ウォリックシャーアレンホール英語版に改葬された[3][5]。嫡出の息子に先立たれたため、爵位はすべて廃絶、遺産は庶子のうちの長男ロバートが継承した[3]

家族

ヘンリエッタ英語版の肖像画、マリア・フェレルストMaria Verelst)画。
娘ヘンリエッタの肖像画、フランシス・コーツ画。

1727年6月10日、ヘンリエッタ・シンジョン英語版(1699年7月15日 – 1756年3月26日、初代シンジョン子爵ヘンリー・シンジョンの娘)と結婚[3]、1男1女をもうけた[1]

  • ヘンリー(1728年12月25日 – 1762年8月15日) - 庶民院議員。1750年6月21日、フランシス・ヒース(Frances Heath、1782年没、トマス・ヒースの娘)と結婚、子供なし[3][11]
  • ヘンリエッタ(1763年没) - 1748年にCharles Wymondesoldと結婚したが、ジョサイア・チャイルド閣下(Hon. Josiah Child、1760年没、初代ティルニー伯爵リチャード・チャイルド英語版の息子)と不倫関係になり、1754年1月にはチャイルドとの間で息子をもうけた[5]。そのため、ヘンリエッタは離婚して1754年5月にチャイルドと結婚したが、Wymondesoldがヘンリエッタを不倫で訴えて多額の慰謝料を勝ち取ったため、2人は外国に住むことを余儀なくされた[5]

妻ヘンリエッタの不倫(相手は医者チャールズ・ピーターズ(Charles Peters)か詩人ジョン・ダルトン英語版、もしくはその両方とされる)により、2人はヘンリエッタがバレルズに住むことを条件に1736年に別居した[5]。ナイト自身もグローヴナー・ストリートでの住居から退去して、息子ヘンリーをチェルシーの学校に送り、娘ヘンリエッタをシンジョン子爵のもとに送った[5]

1756年6月18日、メアリー・ル・ケーヌ(Mary Le Quesne、1795年没、ロンドンの長老議員英語版サー・ジョン・ル・ケーヌ(1741年没)の未亡人、おそらくレイリー・ナイトの娘)と再婚したが、2人の間に子供はなく、1765年ごろには別居した[5]。別居と同じ頃にジェーン・デイヴィス(Jane Davies)と住むようになり、2男2女をもうけた[5]

  • ロバート英語版(1768年3月3日 – 1855年1月5日) - 庶民院議員。1791年6月12日、フランシス・ドーマー(Frances Dormer、第8代ドーマー男爵チャールズ・ドーマーの娘)と結婚、子供あり[12]
  • ヘンリー・レイリー(Henry Raleigh[5]
  • ジェーン - 1791年2月22日、庶民院議員ベンジャミン・ボンド=ホプキンス(1745年? – 1794年1月30日)と結婚、子供なし[13]

  1. ^ a b c d e f g Sedgwick, Romney R. (1970). "KNIGHT, Robert (1702-72), of Barrells, Warws. and Luxborough, Essex.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年8月12日閲覧
  2. ^ a b c d Handley, Stuart (3 January 2008) [26 May 2005]. "Knight, Robert". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/75056 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
  3. ^ a b c d e f g h Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1913). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Canonteign to Cutts) (英語). Vol. 3 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 110–111.
  4. ^ Foster, Joseph, ed. (1891). Alumni Oxonienses 1715-1886 (E to K) (英語). Vol. 2. Oxford: University of Oxford. p. 803.
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m Handley, Stuart (3 January 2008) [26 May 2005]. "Knight, Robert, earl of Catherlough". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/75057 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
  6. ^ Watson, Paula (1970). "Great Grimsby". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年8月12日閲覧
  7. ^ "No. 8556". The London Gazette (英語). 22 July 1746. p. 2.
  8. ^ a b c d Cannon, J. A. (1964). "Great Grimsby". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年8月12日閲覧
  9. ^ a b c d Brooke, John (1964). "KNIGHT, Robert, 1st Baron Luxborough [I] (1702-72), of Barrells, Warws. and Luxborough, Essex". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年8月12日閲覧
  10. ^ "No. 10308". The London Gazette (英語). 26 April 1763. p. 5.
  11. ^ Brooke, John (1964). "KNIGHT, Henry (1728-62), of BarrelIs, Warws.". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年8月12日閲覧
  12. ^ Thorne, R. G. (1986). "KNIGHT, Robert (1768-1855), of Barrells Hall, Henley-in-Arden, Warws.". In Thorne, R. G. (ed.). The House of Commons 1790-1820 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年8月12日閲覧
  13. ^ Symonds, P. A. (1986). "BOND HOPKINS, Benjamin (?1745-94), of Painshill, Surr.". In Thorne, R. G. (ed.). The House of Commons 1790-1820 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年8月12日閲覧


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