ユップ・ハインケス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/28 08:15 UTC 版)
経歴
選手時代
ボルシア・メンヒェングラートバッハのエースストライカーとして活躍。クラブのブンデスリーガ三連覇(通算では4度の優勝)等、数々の栄光に関わると共に、ブンデスリーガ通算385試合出場220得点を記録した。得点記録はブンデスリーガ歴代3位の成績である。またヨーロッパのカップ戦では64試合に出場し51得点(1試合平均0.80得点)を上げた。これはゲルト・ミュラー、エウゼビオに次ぐ3位の成績であり、UEFA3大タイトル(UEFAチャンピオンズカップ、UEFAカップ、UEFAカップウィナーズカップ)の全てで得点王になっている。1974-75年シーズン、UEFAカップ決勝のFCトゥウェンテとの第2戦で3得点を挙げて勝利に貢献した。1976-77年シーズン、UEFAチャンピオンズカップ決勝に進出したが、リヴァプールFCに敗れ準優勝。
西ドイツ代表としてユーロ72、西ドイツW杯でそれぞれ優勝を経験、西ドイツW杯では2試合に出場した。同時期にゲルト・ミュラーが代表でプレーしていたこともあり[1]、通算39試合の出場に留まった。
監督時代
引退後は指導者の道へ進み、アシスタントコーチから古巣のボルシアMGで監督を8年間務めた後、バイエルン・ミュンヘンの監督に就任。2度のリーグ優勝を果たした。1990年代にはスペインのクラブを指揮するようになり、アスレティック・ビルバオやCDテネリフェの監督を務めた。この実績が認められ1997年にはレアル・マドリードの監督に就任し、レアル・マドリードにとって32年ぶりとなるUEFAチャンピオンズリーグ制覇に導いた。しかしリーグ戦では4位と結果を残せず1シーズンで退任した。
2009年4月27日、成績不振によりバイエルン・ミュンヘンの監督を解任されたユルゲン・クリンスマンの後任として残り5試合を暫定的に指揮を執った。2009-10シーズンからバイエル・レバークーゼンの監督となったが、2011年夏から再びバイエルン・ミュンヘンの監督に就任することが決まった。2011-12シーズンは国内リーグ2位、DFBポカール準優勝、UEFAチャンピオンズリーグ準優勝という準3冠という成績になった。2012-13シーズン、リーグではブンデスリーガ最速優勝を決めると、UEFAチャンピオンズリーグでもバイエルンを12シーズンぶりのヨーロッパ制覇に導き、史上4人目となる複数のクラブでのCL制覇を達成した[2]。さらに、DFBポカールでも3年ぶりに優勝し、ドイツのクラブとしても監督としても史上初の3冠(トレブル)をもたらした[3]。2013年6月16日、監督業からの引退を発表。
2017年10月6日、成績不振により解任されたカルロ・アンチェロッティの後任として三たびバイエルン・ミュンヘンの監督に就任することが決まり[4]、チームをブンデスリーガ優勝に導いたが、UEFAチャンピオンズリーグでは準決勝でレアル・マドリードに2戦合計で1ゴール差で敗れ、決勝進出はならなかった。またDFBポカール決勝ではフランクフルトに敗れた。再び監督業から引退した。
- ^ “How do today’s Borussia Mönchengladbach compare to their 1970s heyday?” (英語). ブンデスリーガ. 2022年4月16日閲覧。
- ^ “ハインケス監督が欧州CL制覇で史上4人目の偉業達成”. フランス通信社 (2013年5月26日). 2018年5月26日閲覧。
- ^ “Jupp Heynckes: The records behind a Bundesliga legend with Bayern Munich and Borussia Mönchengladbach” (英語). ブンデスリーガ. 2022年4月16日閲覧。
- ^ “バイエルン、ユップ・ハインケス監督就任決定。4度目の再任は今季終了まで”. FootballTribe (2017年10月7日). 2017年10月7日閲覧。
固有名詞の分類
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