プロイセン貴族院 貴族院議長

プロイセン貴族院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/02 13:25 UTC 版)

貴族院議長

歴代のプロイセン貴族院議長(Präsidenten des Preußischen Herrenhauses)は以下の通り。

廃止

第一次世界大戦末のドイツ革命により、ドイツやプロイセンは共和政となった。1918年11月14日には中央政府と同様にプロイセン政府にも社民党と独立社民党が3人ずつ閣僚を出し合う仮政府「プロイセン人民代表評議会(Volksbeauftragten)」[注釈 3]と執行機関のプロイセン革命内閣ドイツ語版が設置された[9]。プロイセン人民代表評議会は翌11月15日にも貴族院の廃止と衆議院の解散を宣言した[9]

その後、プロイセン憲法制定議会ドイツ語版の選挙と召集が行われ、1920年11月30日プロイセン憲法ドイツ語版が制定された。同憲法により民選のプロイセン州議会が設置されるとともに、州議会に対する上院として、県(Provinz)代表で構成されるプロイセン州参議院ドイツ語版が設置された。ただしこの州参議院は貴族院と違って立法権を有しておらず、州議会に対して異議を申し立てることができるのみだった(州議会の三分の二の賛成があるとこの異議は拒否される)[10]

脚注

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注釈

  1. ^ a b アーレンベルク家ベントハイム=シュタインフルト家ドイツ語版クロイ家イーゼルブルク家ザルム=ホルストマール家ザルム=ザルム家ザイン=ヴィトゲンシュタイン=ベルレブルク家ザイン=ヴィトゲンシュタイン=ホーエンシュタイン家ゾルムス=ホーエンゾルムス=リッヒ家ドイツ語版ゾルムス=レーデルハイム=アッセンハイム家英語版シュトルベルク=ヴェルニゲローデ家ヴィート家ドイツ語版など
  2. ^ ホーエンツォレルン=ジグマリンゲン家ホーエンツォレルン=ヘッヒンゲン家ドイツ語版
  3. ^ プロイセン人民代表評議会はパウル・ヒルシュドイツ語版オイゲン・エルンストドイツ語版オットー・ブラウンハインリヒ・シュトレーベルドイツ語版アドルフ・ホフマンドイツ語版クルト・ローゼンフェルトドイツ語版で構成された[9]

出典

  1. ^ 前田光夫 1980, p. 51.
  2. ^ a b 前田光夫 1980, p. 54.
  3. ^ 前田光夫 1980, p. 55-56.
  4. ^ Hartwin Spenkuch: Das Preußische Herrenhaus. Droste-Verlag, Düsseldorf 1998, S. 174
  5. ^ スタインバーグ 2013, p. 184.
  6. ^ スタインバーグ 2013, p. 185.
  7. ^ a b c d 前田光夫 1980, p. 56.
  8. ^ a b 前田光夫 1980, p. 57.
  9. ^ a b c Andreas Gonschior. “Der Freistaat Preußen Ereignisse 1918–1933”. Wahlen in der Weimarer Republik Impressum. 2018年7月22日閲覧。
  10. ^ Andreas Gonschior. “Der Freistaat Preußen Überblick”. Wahlen in der Weimarer Republik Impressum. 2018年7月22日閲覧。


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