チャラジャベ チャラジャベの概要

チャラジャベ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/28 15:25 UTC 版)

地理

トゥイの谷にある都市の一つで、カラカスの南約60キロメートルにある。工業都市であり、バスや自動車によるカラカスへの遠距離通勤圏でもある。

歴史

1783年の人口構成[1]
インディオ45556%
白人12515%
ムラート19624%
黒人243%
黒人とムラートの奴隷182%
818100%

チャラジャベにはスペイン人の侵攻以前にインディオの村があった。

スペイン人は、他地域のインディオを連れてきて宣教村を作った。1618年にシリロ・デ・オントニエンテ司祭が作ったのが第一の建設で、1735年にサルバドル・デ・カディス司祭が二番目である。[2]

植民地時代の18世紀後半には、カカオサトウキビトウモロコシその他の穀類の農園があった。

南アメリカの独立戦争の際、1814年2月20日に、チャラジャベで王党派と共和派(独立派)が戦い、ホセ・フェリクス・リバスが率いる共和派の軍が勝利した。

植民地時代から20世紀前半まで長い間、チャラジャベは小さな町か村にすぎなかったが、20世紀末にかけて人口が増加し、小都市と呼べる規模に成長した。

チャラジャベは、ウルダネタ郡チャラジャベ市に属したが、20世紀後葉にチャラジャベ市一市からなるクリストバルロハス郡が分離した。これが郡を廃止してクリストバルロハス市になり、現在に至る。

参考文献

  • Jose Marcial Ramos Guedez, Historia del Estado Miranda, Ediciones de la Presidencia de la Republica, Caracas, 1981.

  1. ^ Historia del Estado Miranda, p50, p61
  2. ^ Historia del Estado Miranda p29、およびスペイン語版ウィキペディア。二度の創建が具体的にどういうことなのか、細かな事情は執筆者にはわからなかった。


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