ウィリアム・タリー・ブリアー ウィリアム・タリー・ブリアーの概要

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ウィリアム・タリー・ブリアーの解説 > ウィリアム・タリー・ブリアーの概要 

ウィリアム・タリー・ブリアー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/02 03:13 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

生涯

カリフォルニア州で誕生[1]ダートマス大学を卒業[1]

1961年に国務省外交局に入省[1]。1961年から1968年まで日本に駐在し、東京での言語研修を経て、東京大使館、横浜領事館、札幌領事館に勤務[1]。1968年から1969年までコロンビア大学に在籍し、東アジア研究を専攻[1]。1969年から1971年まで情報調査局で日本担当部に勤務[1]。1971年から1972年まで国防総省に出向し、アメリカ海兵隊の政治顧問として沖縄問題を担当[1]。1972年から1974年までジャマイカキングストン (ジャマイカ)大使館で政治担当事務官[1]。1974年から1975年まで横浜の日本語研修所で通訳官研修を経て[1]、1975年から1978年まで東京大使館で政治担当事務官として勤務し、沖縄問題や朝鮮半島問題などに従事[1]。1978年から1980年まで国務省情報調査局で北東アジア調査部長[1]。1980年から1983年まで東アジア・太平洋局で朝鮮部に勤務し、人権問題、北朝鮮問題、軍事問題を担当[1]。1983年から1984年まで国防大学に在籍[1]

1984年から1987年まで東京大使館にて政治参事官[1]。1987年から1989年まで東アジア・太平洋局日本部長[1]。1989年から1993年まで駐日首席公使[2]。1993年から1996年まで政策企画局で日本および中国に関する事案を担当[1]。1996年に国務省を退職[1]

2007年、「日本・アメリカ合衆国間の友好親善及び対日理解の促進に寄与」の功労により、旭日中綬章を受章[3]

出典

公職
先代:
トマス・ハバード
アメリカ合衆国国務省東アジア・太平洋局日本部長
1987年 - 1989年
次代:
ジョン・レイモンド・マロット
外交職
先代:
デュセイ・アンダーソン
在日本アメリカ合衆国首席公使
1989年 - 1993年
次代:
ラスト・マクファーソン・デミング

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q Breer, William T.toc”. Association for Diplomatic Studies and Training. 2011年4月16日閲覧。
  2. ^ U.S. Ambassadors to Japan and Deputy Chiefs of Mission”. U.S. Department of State. 2011年4月15日閲覧。
  3. ^ 外国人叙勲受章者名簿(平成19年春)”. 日本国外務省. 2011年4月16日閲覧。


「ウィリアム・タリー・ブリアー」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ウィリアム・タリー・ブリアー」の関連用語

ウィリアム・タリー・ブリアーのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ウィリアム・タリー・ブリアーのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのウィリアム・タリー・ブリアー (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS