アーサー・ビーチャー・カールス アーサー・ビーチャー・カールスの概要

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > アーサー・ビーチャー・カールスの解説 > アーサー・ビーチャー・カールスの概要 

アーサー・ビーチャー・カールス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/11 04:48 UTC 版)

アーサー・ビーチャー・カールス
Arthur Beecher Carles
(1911年の写真:撮影者不詳)
カールスは前列左から3人目[1]
生誕 (1882-03-09) 1882年3月9日
フィラデルフィア
死没1952年6月18日(1952-06-18)(70歳)
フィラデルフィア

略歴

フィラデルフィアで生まれた。1900年から1907年の間、ペンシルベニア美術アカデミートマス・アンシュッツヒュー・ヘンリー・ブレッケンリッジヘンリー・ベインブリッジ・マッカーターセシリア・ボーウィリアム・メリット・チェイスといった画家から美術を学んだ。1907年にパリに渡り、パリではポール・セザンヌアンリ・マティスといった画家の新しい美術に心酔し、このころパリに滞在していたジョン・マリン(1870-1953)やエドワード・スタイケン(1879-1973)といったアメリカの芸術家たちと友人になった。1908年のサロン・ドートンヌに 6点の風景画を出展した。

1910年に一旦帰国した後、1912年に再びパリに渡り、パリのサロン・ドートンヌに作品を出展した。帰国後、1913年にニューヨークなどで開かれた大規模な国際美術展、アーモリーショーに作品を出展した。1917年から1925年の間、ペンシルベニア美術アカデミーで教鞭をとり、その後は個人美術教師として活動した。1930年代に、ノーマン・カートン(Norman Carton: 1908-1980)を含む多くの学生を指導した。晩年はアルコール依存症になり、1941年12月の脳卒中のためその後は患い、1952年に亡くなるまで障害者が残ることになった。1952年にフィラデルフィアで没した。 1953年にペンシルベニア美術アカデミーで回顧展が開かれ、1959年にもニューヨークのグラハム画廊で回顧展が開かれた。

娘のメルセデス(Mercedes Matter née Carles;1913–2001)は画家になり、写真家でグラフィック・デザイナーのハーバート・マター(Herbert Matter: 1907-1984)と結婚した。

2000年に発表された美術史家のBarbara Ann Boese Wolaninの論文でカールスのフィラデルフィアの美術界での役割を高く評価した[2]

作品

参考文献

  • Wolanin, Barbara Ann Boese, 2000, "The Paintings of Arthur B. Carles", American Art Review vol XII issue 2: pp. 164–173
  • Wolanin, Barbara A. (1984). Arthur B. Carles: "Painting with Color". Washington, D.C.: Museum Press Inc. ISBN 0-943836-00-X.

  1. ^ 写真に写っている人物は、(前列左から右へ)ジョー・デービッドソンエドワード・スタイケン、カールス、ジョン・マリン、(後列) マースデン・ハートレー、ローレンス・フェローズ (Laurence Fellows) ベイツ大学美術館)蔵。
  2. ^ Wolanin, 2000, "The Paintings of Arthur B. Carles", American Art Review vol XII issue 2: p. 164


「アーサー・ビーチャー・カールス」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  アーサー・ビーチャー・カールスのページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「アーサー・ビーチャー・カールス」の関連用語

アーサー・ビーチャー・カールスのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



アーサー・ビーチャー・カールスのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのアーサー・ビーチャー・カールス (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS