真田丸
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真田丸(さなだまる)は、1614年(慶長19年)の大坂の陣(冬の陣)において、豊臣方の真田信繁(幸村)が大坂城(北緯34度41分15.4秒 東経135度31分36.6秒 / 北緯34.687611度 東経135.526833度)平野口の南に構築した出城・曲輪(出丸)である。
- ^ 千田 2015, p.158
- ^ ”宰相”とは加賀宰相つまり前田利常のことで、講和後ここに利常が本陣を置いて残務整理にあたり、「宰相山」と呼ばれたと推測される(藤本正行「真田丸ノート」、『中世城郭研究』第30号、2016年)。
- ^ a b c 坂井尚登「大坂城真田丸―絵図・地形図・空中写真によって考察する位置と形状」(『城郭史研究』34号、2014年)
- ^ [1]
- ^ "「真田丸」の新たな絵図発見 松江歴史館 "(日本経済新聞、2016年7月12日記事)。
- ^ "真田丸の盛り土か、初の学術発掘で見つかる"(日本経済新聞、2016年12月9日記事)。
- ^ 大阪文化財研究所・大阪歴史博物館『科学研究費補助金基盤研究A 上町台地の総合的研究』(2014年)
- ^ 千田嘉博「守りでなく攻めの砦、通説を覆す真田丸の実像とその狙い」(『歴史街道』2014年12月号)
- ^ 千田 2015, pp.19-22
- ^ 千田 2015, pp.25-26
- ^ a b 藤本正行「真田丸ノート」(『中世城郭研究』第30号、2016年)
- ^ 千田 2015, p.34
- ^ 千田 2015, p.36
- ^ 平山優『真田信繁』(角川選書、2015年)190頁
- ^ 笠谷和比古・黒田慶一『豊臣大坂城』(新潮選書、2015年)
- ^ 千田 2015, p.40
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