ヤクブ・ベクの乱
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ヤクブ・ベクの乱(ヤクブ・ベクのらん)は、清末の1860年代から1870年代にかけての、東トルキスタン(現在の新疆ウイグル自治区)をめぐる戦乱。ムスリムの蜂起の結果、ヤクブ・ベクによって東トルキスタンは統一されたが、最終的に清の左宗棠に敗れ、その死によって崩壊した[1]
- ^ a b c 京大東洋史辞典編纂会『東洋史辞典』、東京創元社、1990年、P842。
- ^ a b 加々美光行:2008年,85頁。
- ^ 『清史稿』に記録。今谷 明「中国の火薬庫」pp.98-99
- ^ 今谷 明「中国の火薬庫」pp.100-101
- ^ 今谷 明「中国の火薬庫」pp.101
- ^ a b c 「テュルク語定期刊行物における民族名称「ウイグル」の出現と定着」大石真一郎北海道大学スラブ研究センター研究報告シリーズNo.89「東欧・中央ユーラシアの近代とネイションⅡ」2003年3月.
- ^ 佐口透『新疆民族史研究』吉川弘文館、1986年、253-291頁。
- ^ 陳舜臣 「中国の歴史 12 清朝二百余年」平凡社 1982年、 3-7頁
- ^ 小松 pp.305-311.
- ^ 加々美光行:2008年,47頁
- ^ a b c 今谷p133
- ^ 今谷p136
- ^ 今谷p138
- ^ 今谷p139.矢野仁一「近代支那史」弘文堂1925
- ^ a b 『民族問題事典』平凡社1995年
- ^ 今谷p136,p146
- ^ 今谷p150
- ^ カルムク語のtaran(耕地、種子、穀物)に由来し、「播種人」を意味する。大石2003.羽田明『中央アジア史研究』臨川書店、1982年、253頁。
- ^ 長澤和俊「シルクロード入門」東京書籍、2005年,100頁
- ^ a b 長澤和俊「シルクロード入門」東京書籍、2005年,100頁
- ^ a b c 『世界大百科事典 第28巻』平凡社、1988年。
- 1 ヤクブ・ベクの乱とは
- 2 ヤクブ・ベクの乱の概要
- 3 前史・背景
- 4 ヤクブ・ベクの登場
- 5 清朝の反応
- 6 脚注
- Qing reconquest of Xinjiangのページへのリンク