オリベリオ・リンコン
(Oliverio Rincón から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/01 03:45 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の姓)はリンコン、第二姓(母方の姓)はキンターナです。 |
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個人情報 | ||||
本名 | オリベリオ・リンコン・キンターナ Oliverio Rincón Quintana |
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生年月日 | 1968年4月2日 | |||
国籍 | ![]() |
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チーム情報 | ||||
分野 | ロードレース | |||
役割 | 選手 | |||
特徴 | クライマー | |||
プロ所属チーム | ||||
1990
1991-1992 1993 1994-1996 1998 |
ポストボン ケルメ アマヤ・セグロス O.N.C.E ビタリシオ・セグロス |
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グランツール最高成績 | ||||
主要レース勝利 | ||||
ツール・ド・フランス通算1勝 ジロ・デ・イタリア通算1勝 ブエルタ・ア・エスパーニャ通算2勝 エスカラーダ・モンジュイック優勝(1991) クラシック・デ・ザルプ優勝(1994) |
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最終更新日 2009年8月10日 |
オリベリオ・リンコン(Oliverio Rincón Quintana、1968年4月2日-)は、コロンビアのデュイタマ出身の元自転車プロロードレース選手。
ステージレースの山岳ステージを中心に活躍したクライマー。現時点で3大ツールの全てで区間優勝を果たしたコロンビア人選手はルイス・エレラとリンコンの二人だけである。
経歴
元は新聞配達員で山道を自転車で走っていたというルイス・エレラに似たバックグラウンドを持つ。
1993年のツール・ド・フランス第15ステージで不調のエースに代わり豪快な逃げを決めて区間優勝し一躍脚光を浴びる。
翌1994年は強豪オンセに移籍。ツールの前哨戦となるブエルタ・ア・エスパーニャで総合5位、当時山岳コースのワンデイレースとしては最高クラスの難易度とステータスを誇っていたクラシック・デ・ザルプで優勝したが、ツールでは連日の猛暑に痛めつけられ途中リタイアの苦杯を舐めた。
1995年はジロ・デ・イタリアに出場。厳しい山岳コースの第14ステージで逃げ切り勝ちを収め、総合でも5位と健闘した。
1997年に一旦引退するが、翌98年にビタリシオ・セグロスチームでカムバック。スペインチャンピオンのカセロのアシストとしてツール・ド・フランスにも出場した。
引退後の災難
引退後は郷里のコロンビアに戻って実業家に転身していたが、2000年1月にコロンビア第二の反政府ゲリラ組織、コロンビア民族解放軍に義妹と共に誘拐されるという事件が発生した。 身代金目的の犯行と見られ、これ自体は自宅の近くで解放される形で一応の決着を見たが、なんと2ヶ月後に今度はコロンビア最大のゲリラ組織、コロンビア革命軍に誘拐されるという災難に見舞われた。この誘拐事件は他のターゲットを狙っていた実行部隊が人違いでリンコンを攫ったもので、すぐに部隊の指揮官が謝罪し解放されている。
主な戦績
- 1989年
- ブエルタ・ア・コロンビア ステージ2勝 総合優勝
- 1991年
- エスカラーダ・モンジュイック ステージ2勝 総合優勝
- 1993年
- ブエルタ・ア・エスパーニャ 第17ステージ優勝 総合4位
- ドーフィネ・リベレ ステージ1勝 総合2位
- ツール・ド・フランス 第15ステージ優勝 山岳賞3位
- 1994年
- クラシック・デ・ザルプ 優勝
- 1995年
- ジロ・デ・イタリア 第14ステージ優勝 総合5位
- 1996年
- ブエルタ・ア・エスパーニャ 第17ステージ優勝
外部リンク
- オリベリオ・リンコン - サイクリングアーカイヴス(英語)
固有名詞の分類
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