Lubangoとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > Lubangoの意味・解説 

ルバンゴ

(Lubango から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 08:55 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
ルバンゴ

サ・ダ・バンデイラ
Municipality
ルバンゴ
座標:南緯14度55分 東経13度30分 / 南緯14.917度 東経13.500度 / -14.917; 13.500
アンゴラ
ウイラ州
面積
 • 合計 3,147 km2
標高
1,720 m
人口
(2014年現在)[1]
 • 合計 776,246人
 • 密度 250人/km2
等時帯 UTC+1 (WAT)
Climate Cwb

ルバンゴ(Lubango)は、アンゴラの都市。アンゴラ南西部、標高1720mの高原上にあり、ウイラ州の州都である。人口100,757人。1975年までは、サ・ダ・バンデイラSá da Bandeira)という名だった。ナミベメノングエを結ぶ鉄道が通っており、農産物の集散地となっている。

ルバンゴは1882年ポルトガルマデイラ諸島からの植民者によって開かれた。次いで1885年ナミビアグルートフォンテインからきた40家族のボーア人たちがまた別の植民地を開いたが、この地域をポルトガル領であるとするポルトガル政府と紛争となり、ベルリン会議によってこの地域がポルトガル領と確定するとボーア人たちはグルートフォンテーンに引き返していった。

1923年には鉄道がルバンゴに到達し、モサメデス(現在のナミベ)と結ばれた。

アンゴラ内戦初期には、市内にアンゴラ解放人民運動(MPLA)に対抗する親米二派、アンゴラ民族解放戦線(FNLA)、アンゴラ全面独立民族同盟(UNITA)が拠点を構えていたが、1976年1月18日、二派が戦闘状態に陥った。市内は混乱し、残留していたポルトガル人ら6000人が空港へ退避した[2]

脚注

  1. ^ Resultados Definitivos Recenseamento Geral da População e Habitação – 2014 Província da Huíla”. Instituto Nacional de Estatística, República de Angola. 2020年5月3日閲覧。
  2. ^ アンゴラ紛争激化の一途 南部で親米二派衝突?『朝日新聞』1976年(昭和51年)1月18日、13版、7面



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「Lubango」の関連用語

Lubangoのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



Lubangoのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのルバンゴ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS