ロレンツォ・クアーリョ2世とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ロレンツォ・クアーリョ2世の意味・解説 

ロレンツォ・クアーリョ2世

(Lorenzo Quaglio the Younger から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/15 08:55 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
ロレンツォ・クアーリョ
Lorenzo Quaglio
ロレンツォ・クアーリョ作『チロルの祭り』(1845)
生誕 1793年12月19日
ドイツ,ミュンヘン
死没 1793年12月19日
ドイツ,ミュンヘン

ロレンツォ・クアーリョ(Lorenzo Quaglio the Younger、1793年12月19日1869年3月15日)は北イタリアの芸術家の一族クアーリョ家の出身の画家で、ミュンヘンで生まれ、ミュンヘンで活動した。父親の叔父で、マンハイムなどで活動した建築家、画家のロレンツォ・クアーリョ英語版(1730–1804)と区別するために、ロレンツォ・クアーリョ2世とか若いほうのロレンツォ・クアーリョと呼ばれる。風俗画を描いた。

略歴

ミュンヘンで生まれた。父親のジュゼッペ・クアーリョ英語版(1747–1828) は現在のイタリア、コモ県ライーノの生まれで、17世紀初めの Giulio Quaglio the Elder (1610–1658)から始まるクアーリョ家の出身で、ミュンヘンなどで舞台芸術家などとして働き、1801年に宮廷建築家になった人物である。

ロレンツォ・クアーリョの兄弟のアンジェロ・クアーリョ英語版(1784–1815)、ドメニコ・クアーリョ(1787-1837)、ジモン・クアーリョ英語版 (1795–1878)らも芸術家として知られている。

父親や兄から美術を学んだ後、ミュンヘン美術院で学んだ。1812年までバイエルン選帝侯の宮殿や、ミュンヘンの劇場の装飾の仕事をした。ホーエンシュヴァンガウ城の装飾も行った。

バイエルンやチロルの山地を旅し、村人の生活を描いた。版画作品も制作した。

作品

参考文献

Квальо Энциклопедический словарь Брокгауза и Ефрона - ロシア語版Wikisourceのクアーリョ家の記事(ロシア語)




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  ロレンツォ・クアーリョ2世のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ロレンツォ・クアーリョ2世」の関連用語

ロレンツォ・クアーリョ2世のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ロレンツォ・クアーリョ2世のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのロレンツォ・クアーリョ2世 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS