ライカ
(LEICA から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/07/24 07:10 UTC 版)
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ヴェッツラーの本社(2014年以降)
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現地語社名
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Leica Camera AG |
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種類
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株式会社 (ドイツ) |
| 業種 | カメラ、デジタル画像処理、光学機器、写真 |
| 設立 | 1869年、 1986年、 |
| 創業者 | Ernst Leitz senior |
| 本社 | 、 |
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主要人物
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アンドレアス・カウフマン(監査役会会長)、アンドレアス・フォル(CEO)[1] |
| 製品 | カメラ、写真用レンズ、眼鏡レンズその他の光学機器、腕時計、スマートフォン、4Kプロジェクター、レンジファインダーカメラ、一眼レフカメラ、双眼鏡、単眼鏡、レーザー距離計 |
| 売上高 | 5億9600万ユーロ(2024/2025会計年度)[2] |
| 所有者 | ACM Projektentwicklung GmbH(55%) ブラックストーン・グループ(45%) |
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従業員数
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約2,300人[3] |
| ウェブサイト | https://leica-camera.com/ja-JP |
ライカ(Leica) とは次のいずれかである。
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- なお「ライカ」とは「ライツのカメラ」(Leitz Camera )を短縮したブランド名である。
本項ではライカカメラAG(Leica Camera AG)、エルンスト・ライツおよびライツが開発したライカカメラ、ならびにライカブランドについて記述する。
ライカカメラ(Leica Camera AG)は、カメラ、光学レンズ、写真レンズ、双眼鏡、ライフルスコープなどを製造するドイツの企業である。眼鏡レンズ、機械式腕時計、スマートフォンおよびその関連製品、さらにホームシアター向けの映写機の製造も手がけている。ライカは世界で初めて実用的な35mmフィルムカメラを開発し、後にデジタル写真の分野へと事業を広げた。
社名でありブランド名でもある「ライカ」(Leica)とは、創業者の姓「ライツ」(Leitz)の最初の3文字と「カメラ」(camera)の最初の2文字を組み合わせた語である[4]。会社の起源は、カール・ケルナーが1849年に設立した光学研究所をエルンスト・ライツが1869年に引き継いだことにさかのぼる。1925年に発売された市販一号機「ライカI」以降、「ライカ」はカメラのブランド名として知られるようになった。写真事業が1986年にライカGmbHへ集約されて以降、この形態で存続している。
ライカカメラは、オーストリアの投資会社ACM Projektentwicklung GmbHが55%、ブラックストーン・グループが45%を保有しており[5]、ライカブランドの商標はダナハー傘下のライカマイクロシステムズGmbHからライセンスを受けている。本社をドイツのヴェッツラーに置くほか、ポルトガルのヴィラ・ノヴァ・デ・ファマリカンにも生産拠点を持つ[6]。約120のライカストアからなる国際的な販売網を持ち、従業員数は世界全体で約2,300人[7]、2024/2025会計年度の売上高は5億9600万ユーロであった[2]。
高級レンジファインダーカメラ「Mシリーズ」や一眼レフカメラ「Rシリーズ」、コンパクトカメラ、プロジェクタ、フィールドスコープ、双眼鏡など、さまざまな製品を開発・販売してきた歴史があり、そのレンズ描写性能などの品質の高さから、プロの写真家をはじめアマチュアにもコレクターや愛好者が多い。デジタルカメラの分野ではパナソニックと提携してLumix向けの光学設計を提供しているほか、ファーウェイやシャオミのスマートフォンにカメラ技術を提供している。またエルメスやザガートといったブランドと協働した限定モデルを販売している[8]。
会社組織
ライカカメラは、ヴェッツラーに本社を置くライカカメラグループの親会社であり、ヴィラ・ノヴァ・デ・ファマリカンに生産拠点を持つ[6]。同社はヨーロッパ、北米、アジア、オーストラリアの企業に24の直接出資と15の間接出資を行っている。2026年時点では、自社の販売子会社を通じて国際的に約120のライカストアを展開している[9]。従業員数は約2,300人[7]、2024/2025会計年度の売上高は5億9600万ユーロであった[2]。
現在、かつてのエルンスト・ライツ・ヴェッツラーから分かれた事業は次の3社として存続している。
事業部門と製品
カメラ
最初期のライカの試作機は、20世紀初頭にオスカー・バルナックによってエルンスト・ライツ社で開発されたが、市販が始まったのは1920年代半ばであった[10]。ライカは、シネカメラがフィルムを縦方向に送るのに対し、35mmフィルムを横方向に送って24×36mm判の画面を構成する点で革新的であった[10]。カメラは小型で沈胴式レンズを備え、携帯性に優れていた[11]。1932年のライカIIではビューファインダーと連動距離計が内蔵され、交換レンズも使えるようになった[11]。1933年のライカIIIは低速シャッターの制御を加えた(最高速は1/500秒で、1/1000秒は1935年のIIIaで実現した)[12]。その後もIII型はa・b・c・d・f・gと改良が重ねられ、1950年代まで主力機種であった[11]。
第二次世界大戦前、ライカと競合するツァイス・イコンのコンタックスは、最高級の35mmカメラとされていた[11]。戦後はソビエトや日本の模倣機との競争にさらされ、1950年代以降は日本製品の品質・技術革新・低価格が、ドイツをはじめとするヨーロッパのカメラ産業に大きな打撃を与えた[13]。日本のメーカーは一眼レフへの移行をいち早く進め、1960年代に本格的な写真家が一眼レフへ移ると、レンジファインダーは旧式化し、ライカは主にプロや本格的な写真家が購入する高価なカメラとして、縮小する市場分野の主要製品となった[13]。それでもライカは21世紀に入っても著名なブランドであり続けている[11]。
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ライカQ2
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ライカM
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ライカS3
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ライカSL2-S
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ライカCL
スキャンカメラ S1
1996年、ライカは業務用のスキャニングカメラシステムS1を発表した。最初のモデルであるS1 Proは据え置き型のスタジオおよび複製用途向けに設計され、主に美術館、文書館、研究機関を対象としていた。約160台が生産され、ライカと専門販売店を通じて世界的に販売された。1998年には、低価格版や高速撮影向けのモデルなどの派生機種が追加された[14]。
ライカM
ライカMシステムはライカで最も歴史の長いカメラ系列であり、デジタルとアナログの両形態で提供されている[15]。現行のデジタル機・アナログ機にはM11シリーズや、いったん生産が中止された後に復活したM6がある[16]。標準モデルのほかに、モノクロ専用機や背面ディスプレイを持たないモデルなど、特定の撮影用途に向けた派生機も用意されている[17]。
2024年10月、ライカは250台限定の記念モデルライカM Edition 70を発売した。このセットには、ライカビット(速写レバー)付きでプラチナコーティングされたライカM-A 35mmフィルムカメラ、50mm APO-ズミクロンM f/2レンズ、白黒フィルムを収めたプラチナコーティングのフィルムケースが含まれる[18][19]。
2026年時点では、次のモデルが販売されている[20]。
- M11-D
- M11-P
- M11 Monochrom
- M EV1
- MP
- M-A(Type 127)
- M6(復刻版)
ライカSL・ライカQほか
2015年に登場したライカSLシステムは、主にプロ向けのミラーレスフルサイズシステムカメラである[21]。これらのカメラはライカが開発したLマウント規格に基づいており、Lマウントアライアンスに参加するライカ、シグマ、パナソニックなどの複数のメーカーの間でカメラとレンズを相互に利用できる[22]。2026年時点では、ライカSL3、SL3-SおよびSL3-Pが販売されている[23]。
ライカQシリーズは、固定式レンズを備えたコンパクトなフルサイズカメラである。2026年時点では、ライカQ3、Q3 Monochrom、Q3 43が販売されている[24]。
主力システムのほかにも、ライカはコンパクトカメラやインスタントカメラの分野で製品を展開している。これにはパナソニックと共同開発したD-Luxシリーズや、アナログのインスタント写真とデジタル機能を組み合わせたインスタントカメラライカゾフォート(Leica Sofort)などがある[25][2]。
スポーツオプティクス
スポーツオプティクスの分野で、ライカは双眼鏡、レンジファインダー、フィールドスコープ、ライフルスコープ、およびその関連製品の開発・製造・販売を行っている[26]。提供される製品の一部には窒素が充填されており、内部が曇らず、⽔深5メートルまでの耐圧性を備えている。ゴム外装は⾦属筐体と⼀体に接着されており、強い負荷がかかっても部品が分離しない。筐体素材にはマグネシウムも⽤いられている[27]。
双眼鏡にはノクティビッド(Noctivid)、ウルトラビッド(Ultravid)、トリノビッド(Trinovid)などの製品系列がある[28]。
ライカは1907年に最初のプリズム双眼鏡Binocle 6×18を発売した。生産は経済的な理由から1931年に中止された。双眼鏡の製造は1960年代半ばにトリノビッドシリーズの登場とともに再開された。後にトリノビッドの単眼鏡がNASAのアポロ計画向けに開発され、「アポロの眼」(Eye of Apollo)として知られるようになった[29]。1992年、ライカは距離計を内蔵した世界初の双眼鏡ジオビッド(Geovid)を発売した[30]。
モバイル
ライカカメラのモバイル部門は、モバイル画像技術の分野における同社の活動、とりわけスマートフォンメーカーとの協業によるライカのカメラ技術の統合を担う。ライカのモバイル分野への参入は、2015年の中国の技術企業ファーウェイとの協業に始まる。この戦略的提携により、ライカが関与したP9を皮切りに、デュアルカメラシステムが開発された[31]。協業は複数のフラッグシップモデルへと拡大し、ハードウェア開発だけでなく画像処理の調整も対象とした[32]。この提携は2021年のP50シリーズをもって終了した[33]。
2020年初め、ライカカメラとInsta360は、交換式カメラモジュールにより360度撮影を可能にするアクションカメラInsta360 ONE Rの発売に向けた戦略的提携を発表した[34][35]。ONE Rはその後、『タイム』誌の「2020年の最も優れた発明」の一つに選ばれた[36]。
2022年、ライカとシャオミはモバイル画像分野での戦略的提携を発表した。この協業には、スマートフォンのカメラシステムおよび関連する画像技術の共同開発が含まれる[37]。以後、12[38]、13、14[39]、15、17などの複数のシャオミのスマートフォンシリーズに、ライカブランドのカメラシステムが搭載されている[8]。
2021年、ライカは日本でライツフォン1を発売した[40][41]。これはシャープの技術に基づくもので、続いて2022年にライツフォン2[42]、2024年に第3世代のライツフォン3が、いずれも日本市場限定で発売された。ライツフォン3はズミルックスの光学系と4眼カメラシステムを備える[43]。
2024年、ライカは写真撮影・画像編集向けのiPhoneアプリ「ライカLUX」(Leica LUX)を公開した。このアプリはズミルックスM 28mm f/1.4 ASPH.やノクティルックスM 50mm f/1.2 ASPH.などのレンズの効果を模擬し、手動操作のプロモードを備える[44]。2025年には、アプリを手動で操作するためのフォトグリップ「LUX Grip」が発売された[45]。
2026年2月、ライカはシャオミとの協業によりライカ・ライツフォン(Leica Leitzphone)を国際市場で発売した。この機種はXiaomi 17 Ultraをベースとし、製造はシャオミが担い、ライカがデザインとソフトウェアの要素を提供している。計算による画像処理を行う3眼カメラシステムを備え、カメラモジュールには各種パラメーターの調整に使える機械式のコントロールリングが組み込まれている[46][47]。
アイケア(眼鏡レンズ)
眼鏡レンズ事業は、ライカカメラの子会社であるライカ・アイケア(Leica Eyecare)が手がけており、ドイツ国内で眼鏡レンズの開発・製造を行っている[48]。2023年にはヘッセン州のホイヒェルハイムに生産施設を開設した[49]。同社は累進レンズ、単焦点レンズ、デジタルレンズのほか、写真家向けの特殊なレンズ設計など、さまざまな種類の眼鏡レンズを開発・製造している[49][50]。
時計
ライカ・ウォッチ(Leica Watch)はライカカメラの事業部門であり、腕時計その他の付属品を担う子会社エルンスト・ライツ・ヴェルクシュテッテンGmbH(Ernst Leitz Werkstätten GmbH)として運営されている[51]。
ドイツ語で「計時器」を意味する「ツァイトメッサー」(Zeitmesser)にちなんで名づけられたライカZMシリーズは、2018年にL1・L2モデルとして初めて発表され、後にZM 1・ZM 2と改称されて2022年2月に発売された。いずれも手巻き式ムーブメントと特許取得済みのプッシュボタン式リューズを備える。このシリーズはドイツのレーマン・プレシジョンGmbH(Lehmann Präzision GmbH)と共同で開発された[52][53]。2023年10月、ライカはZMシリーズの発展形としてZM 11を発表した。スイスのクロノード(Chronode)と共同開発した自動巻きキャリバーLA-3001を搭載し、チタンまたはステンレス鋼製の41mmケースに収められている[54]。2025年2月には、ケース径39mmのより小型な派生機ZM 12が発表された[55]。
ホームシネマ
ライカはスマート投影事業部門を通じてホームシネマ分野でも活動しており、カメラ製造に由来する光学技術に基づき、携帯型や短焦点型を含むホームシアター向けの映写機を開発している。その一例が超短焦点プロジェクターライカ Cine 1で、2022年にIFAで初めて公開され、ハイセンス(Hisense)との協業から生まれた[56]。2024年末には、明るさ3,000ルーメンの携帯型トリプルレーザー4KプロジェクターCine Play 1を発表した[57]。2026年には、日本国内でもミニプロジェクター「ライカCine Compact 1」が発売された[58]。
研究開発
ライカは、従来のカメラシステムとデジタル技術の統合を支えるために自社のデジタル基盤を開発している。これにはノイズ低減やダイナミックレンジ処理のためのアルゴリズムなど、計算による画像処理技術の利用が含まれる。また、既存および将来の製品との相互運用性を支えるデジタルサービスやソフトウェアアプリケーションも開発している。このデジタル基盤は、画像処理や画像管理に関する機能を含め、ハードウェア・ソフトウェア・ネットワーク化されたアプリケーションの間の連携の枠組みを提供している[59]。
協業
2018年にケルンで開催されたフォトキナで、ライカはシグマとパナソニックがLマウントプラットフォームのライセンスを取得したと発表した。3社は独立性を保ちながら戦略的・技術的な提携を結ぶこととなった[60]。Lマウントアライアンスを通じて、ライカカメラ、シグマ、パナソニック、エルンスト・ライツ・ヴェッツラーGmbH、DJI、アストロデザイン、サムヤンオプティクス、ブラックマジックデザイン、SIRUI[61]、ビルトロックス、フリーフライが、共通のレンズマウント規格を採用するため提携している[62]。
提携の一環として、ベルリンを拠点とする眼鏡メーカーのマイキータ(Mykita)とライカカメラは、2020年春にサングラスと度付き眼鏡のコレクションを発売した。最初のコレクションは、最も優れた製品デザインに対して2020年のレッド・ドット・デザイン賞を受賞した[63]。
「LUMIX」も参照の事。
2000年、ライカは松下電器産業(現パナソニック)とデジタルAV機器用レンズに関する技術協力契約を締結し、ディコマー(DICOMAR )レンズを搭載したデジタルビデオカメラなど3機種を開発・発売している。松下とはそれ以前からフィルム・コンパクト機(製造は松下系列の旧ウエスト電気〈現パナソニック ライティングデバイス〉)のOEM供給を受けていた。さらに2001年にはデジタルカメラ分野でも提携を行ない、レンズの光学系はライカと共同開発してライカのライセンスを受けて生産しているほか、松下からのOEM供給によるライカブランドでの販売も行っている。松下がフォーサーズシステムによるデジタル一眼レフカメラに参入した際にも同規格に賛同し、レンズのライセンス許諾による供給を行なうことになっており、ライカブランドでもDMC-L1のOEMモデルDIGILUX 3が発売されている。ノクチクロン、エルマリート、ズミルックスなどのライカブランドのレンズは、2001年以降、多くのパナソニック(松下)のデジタルカメラ(LUMIX)やビデオレコーダーに用いられてきた。パナソニック/ライカのモデルは、デジタルカメラに光学式手ぶれ補正を初めて搭載した機種でもある[64]。
歴史
前史と創業
ライカの前身は、1849年にカール・ケルナーがヘッセン州ヴェッツラーで設立した光学研究所オプティシェス・インスティトゥート(Optisches Institut )である。ケルナーはガラス製品や望遠鏡を製造し、その品質と精度から科学者の間で人気を得ていた[65]。ケルナーの死後、会社を未亡人が引き継いだが、従業員だったフリードリヒ・ベルトレ(Friedrich Berthle [注釈 1]、-1869年)がケルナーの未亡人と結婚し、社名をオプティシェス・インスティトゥート・ケルナー・ウント・ベルトレ(Optisches Institut Kellner Und Berthle[注釈 2] )とした[66]。
後に、スイスの工場で働いていたユンカースという見習いが、その工場で行なわれていた効率的な生産方法について説明した際に、その方法に詳しい機械工エルンスト・ライツ1世(Ernst Leitz I 、1843年-1929年)を紹介し、雇用するようベルトレに勧め、1865年にこの会社にエルンスト・ライツ1世が参加することとなった[66]。1869年にベルトレが死去するとエルンスト・ライツ1世は事業を引き継ぎ、社名をオプティシェス・インスティトゥート・フォン・エルンスト・ライツ(Optisches Institut Von Ernst Leitz )、さらにエルンスト・ライツ・オプティッシェ・ヴェルケ(Ernst Leitz Optische Werke )とした[4][67]。
当初、会社は顕微鏡の製造のみを手がけていた。1905年にはボディー本体をヒュッティヒに外注してカメラ生産に参入したとされる。1907年には双眼鏡の生産を始め、1910年には映画上映用の映写機の製造を開始した[68]。
カメラ事業の確立
1911年1月2日[69]エルンスト・ライツに入社した技術者オスカー・バルナックは、1912年に映画用カメラを試作した[69]。そのフィルムをいじっているうち映画1コマと同寸法(24×18mm判)の小型スチルカメラを試作することにした。試作した動機について「当時感度も低く品質も安定していなかった映画用フィルムの適正露出を調べるためにそのフィルムの一部を使い実際に撮影してチェックするために開発した露出テスト用カメラが、スチルカメラとしても流用できることに気づいた」という説があるが、日本の代理店だったシュミット商会の中川一夫はバルナック自身が述べていないことや前後関係から否定的である。他には「無類の写真好きであったが、小柄で体力もさほどなかったバルナックにとって当時主流のガラス製で重い13×18cmの写真乾板を使用する木製大型カメラを持ち歩くことは困難だったため、自分にとって使いやすいカメラを求めて作り上げた」という説[70][71]など諸説ある。キノテッサー5cmを装着してテスト撮影したが、原版が小さすぎてハガキサイズ程度にしか引き伸ばしプリントできなかった[69]。
次にバルナックは35mm映画用フィルムの2コマ分を使用する小型カメラを2台試作した[69]。これは後にライカの起源として「ウル・ライカ」と呼ばれることになるが、この段階ではライカという名前はなく、この試作機が映画用フィルムの2コマ分である24×36mm判になった理由として、「試写の品質に満足できず2コマ分にしてみたらうまく行ったのでそれに決めた」という説と、「必要な面積を計算して2コマ分に行き着いた」という説がある[69]。2台のうち1台はバルナック自身が使い、もう1台はエルンスト・ライツ1世(Ernst Leitz I )に贈られた。これは1913年[69]または1914年[72][69]のことで、中川一夫によるとマックス・ベレークは1913年と言っていたという[69]。
ライカ誕生30年に際し、写真評論家の伊奈信男は「もしライカが産まれざりせば、他の35ミリカメラの誕生は、はるかにおくれたかもしれないし、あるいは全く生れなかったかもしれないのである。もしそうだったとしたら、写真の歴史は、今日のものとは違ったものとなって、おそらく書き換えられていたことであろう」と評している[69]。
1920年にはエルンスト・ライツ1世が亡くなり、跡を継いだエルンスト・ライツ2世(Ernst Leitz II )がウル・ライカに着目、改良を加えさせた。折しも大不況の中、社内会議で発売中止に傾く中、エルンスト・ライツ2世はこれを製造に移すと宣言[73]し、「ライツのカメラ」(Leitz Camera )との意で「ライカ」と名付け1925年に市販一号機ライカI(A)を生産、販売することになった。
それまでのカメラは密着焼きにより写真を作るのが主流であったが、ボディが小型のライカはフィルムが小さく引き伸ばしを前提としたため、当時一般的でなかった引き伸ばし機が当初からシステムの一環として販売された。拡大に耐えるネガを作るために高性能のレンズが必要とされ、レンズ開発の技術者マックス・ベレークはライツ・アナスチグマート(Leitz-Anastigmat )をはじめとするさまざまな銘玉を世に出した。
また一般には「広角気味のレンズで撮影し、必要ならトリミングする」という手法が使われていたが、ライカの場合トリミングするとただでさえ小さいフィルム面積からの拡大率がより大きくなるため、画角に合ったレンズ交換の必要性が高くなった為、1930年レンズ交換が可能なライカC型が開発され、1931年に全てのカメラのフランジバックが統一され、エルマー(Elmar )3.5cmF3.5、エルマー5cmF3.5、エルマー9cmF4、エルマー13.5cmF4.5、そしてヘクトール(Hektor )5cmF2.5と基本的なレンズが揃った。
1925年までに約900台、翌年には1,600台以上が販売された。1927年以降カメラ事業は黒字となり、3,200台以上を販売した。1931年末までに68,000台以上のライカが販売された[74]。
1932年連動距離計を搭載したライカII型を発売、交換レンズとして1931年にヘクトール7.3cmF1.9、1933年にズマール(Summar )5cmF2が発売され、とりわけ報道写真分野で、卓越した画像を多数提供したため、ライカの名声は不動のものとなった。また1934年に極めて優秀な人物撮影用のレンズ、タンバール(Thambar )9cmF2.2が供給され、現代の写真撮影のライカ判(24×36mm判)全盛の基礎を確立した。
ライカIII型は1秒までの低速シャッターを追加し、IIIa型は1/1000秒の高速シャッターを加えた。IIIaはバルナックの没年までに作られた最後のモデルであり、彼が全面的に責任を負った最後の機種である。ライツはその後も1957年まで原設計を洗練させ続けた。最終版のIIIgは複数のブライトフレームを持つ大型ファインダーを備えている。
小さいフィルム面積に重要な画像情報が凝縮されていることから画質が損なわれがちだとして、旧来の写真家からは「撮影機材ではなく『スパイカメラ』にすぎない」などと蔑視されることもあったが、暗所での撮影のための大口径レンズ、広角や望遠での撮影のための交換レンズを揃えても2 - 3kgに収まり、写真家はかつての重い撮影機材から解放された。このことは僻地に持参する時や、被写体の動きを素早く捉えたい時にも役立った。
エルンスト・ライツは早くから熟練労働者の維持を促す進歩的な労働方針をとっており、その多くはユダヤ人であった。1920年から経営を担ったエルンスト・ライツ2世は、1933年のヒトラー政権成立を受け、数百人(実際の従業員でない者を含む)を海外の販売拠点に「配属」して職を得られるよう支援し、ユダヤ人のドイツ脱出を助けた。この取り組みは1938年の水晶の夜の後に強化され、1939年9月に国境が閉鎖されるまで続いた。後に「ライカ・フリーダム・トレイン」として知られるようになったこの活動の全容は、ライツ2世の死後、戦後しばらく経ってから公になった[75]。
ライカの建物
19世紀の最後の数十年間に、エルンスト・ライツは生産設備をカルスムントの斜面に移し、ラウフドルファー・ヴェークに十分な住宅と作業場を構えた。世紀の変わり目には、ヴェッツラーにおける光学生産の拡大に伴って複数階建ての工場が建設された。1907年から1950年代にかけて、ライカの工場を構成する建物群はヴェッツラーのエルンスト・ライツ通りに位置していた[76]。
これらの建物は1986年まで使われ、生産がゾルムスへ移された。その後の建物はライカマイクロシステムズGmbHが使用している[77]。1986年から1988年にかけてカメラ部門が独立し、ライカカメラはヴェッツラーからゾルムスへ移転して、新たな施設に本社とカメラ生産を置いた。2014年、ライカカメラはいわゆる「ライツパーク」(Leitz Park)を建設してヴェッツラーに戻った[77]。ライツパークの主要建物はグルーバー+クライネ=クラーネンブルク建築事務所の設計によるもので、湾曲したファサードや入口の円筒状の構造など、カメラレンズを思わせる建築形態を用いている。ライツパークは後により広いキャンパスへと拡張され、2018年にはホテル、博物館、生産棟、オフィスタワーの4棟が完成した。以後ここにライカ・ヴェルトとエルンスト・ライツ・ミュージアム博物館が置かれている[78]。
発展
1950年代ごろまでの日本のカメラメーカーはライカを目標にして小型カメラの技術開発を行なっていたが、1954年に発表されたライカM3はレンジファインダーカメラとして当時最高の技術を投入して高い評価を得たことで、35ミリフィルムがスタンダードとなる契機を作った。日本ではライカM3の模倣品が続出、日本光学もニコンSPを発売して追随した[79]。ライカM3を名機として賛美する人は絶えないが、このことが逆に1970年代以降主流となった一眼レフカメラへのライカの参入を遅らせてしまうことにもなった[要出典] 。
1952年、ギュンター・ライツはオンタリオ州ミッドランドにエルンスト・ライツ・カナダを設立することを決めた。少なくとも1950年代半ばまで、ライツは旧型のライカを当時のモデルの仕様へ工場で改装するサービスを提供しており、改装されたカメラは元の製造番号を保持した[80]。カメラのほか、ライカはプラド(Prado)シリーズなどのスライド映写機も製造し、後にキンダーマン(Kindermann)と映写機の技術や付属品で協業した。1982年にはキンダーマンとライツが、ガラスマウントのないスライド用のライツ・キンダーマン式マガジンを発売した[81]。
戦後のモデルには、戦前のモデルに見られた「DRP」(ドイツ帝国特許)に代えて「DBP」(ドイツ連邦特許、Deutsches Bundespatent)のイニシャルが刻まれている。ライカの距離計の設計は他のメーカーにも広く採用され、日本のレオタックス・ニッカ・初期のキヤノン、アメリカのカードン、イギリスのリード、ソ連のFEDやゾルキーなどがある。
1964年から、ライカは一眼レフカメラの生産を始め、ライカフレックスを皮切りに、ライカフレックスSL、ライカフレックスSL2、続いてミノルタとの協業によるR3からR7までのRシリーズを生産した。Rシステムは2009年に生産中止となるまで続いた[82]。
ビゾフレックスシステムは、レンジファインダーと一眼レフの中間的な解決策であった。これはライカのレンジファインダー機(スクリューマウント版・M版の両方)に取り付けるミラーボックスからなり、距離計の代わりにすりガラスでピント合わせができるようにするもので、距離計では正確な合焦が難しい長焦点レンズの使用を可能にした。このシステムは1935年に登場したPLOOTミラーボックスに始まり、ビゾフレックスI(1951年)、ビゾフレックスII(1960年)、ビゾフレックスIII(1964年)として発展し、1984年に生産中止となるまで使われた。
会社は事業を拡大し、1973年にはポルトガルのヴィラ・ノヴァ・デ・ファマリカンに拠点を開いた[6][83]。当初は借りた施設で100人の従業員が働いていたが、1975年末に工場が完成すると175人に増えた[84]。1976年には、ライカはヴェッツラーに最初のギャラリーも開いた[85]。
ミノルタとの提携、ウィルド傘下への移転
一眼レフカメラ化と低コスト化に乗り遅れたためやがて経営に陰りが出たエルンスト・ライツは、一眼レフカメラ開発で先行する日本の大手カメラメーカーのうちミノルタカメラ(現コニカミノルタ)に注目し、M型ライカの外装部品製造を依頼した。このことから両社の技術者の相互出張見学を通じて親交を深めていくこととなる[86]。それから数年経過した1972年、エルンスト・ライツはミノルタカメラと、両社の特許やノウハウの相互提供、技術者の相互派遣、生産設備の相互利用による生産協力などの相互協力協定を結んだ[86]。エルンスト・ライツが外国企業と提携したのは初めてのことで、この提携ニュースは日本・アメリカ・ドイツで大きく報道された。この協力関係に基づき、両社の技術者が協力してミノルタカメラの工場で設計したライカCLを1973年9月に発表・発売し、ライカフレックスSL2をほとんどミノルタカメラで生産、ミノルタXEの基本構成をライカR3以降に流用するなど一定の成果を上げた。その後提携は解消されたが、この技術提携は双方の技術開発に多大な影響を与えた。
しかし経営好転までには至らず、1973年のうち[86]、もしくは1974年[87]に、スイスのウィルドがライツ一族の株式を買い取った。エルンスト・ライツ3世は代表権を失い、1979年9月8日に死去した[86]。株式の53%を取得したウィルドの傘下で「当面ライカの製造は続ける」と発表されたが、1974年に生産され1975年に販売されたライカ発売50周年記念モデルを最後にウェツラー工場での生産は途絶え、社員6,500名の過半数が減員されて工場も整理され[86]、かろうじてポルトガル工場でライカR3の製造が続けられるだけとなった。機械が搬出され倉庫が整理されて競売にかけられたため、ライカ発売以来一般人の目に触れることのなかった試作カメラなどが突然流通するようになり[86]、この混乱の中で発売されたライカM4-2の初期製品では、検査部門の存在自体が疑われるような不良品が流通した[88]。その後はどこでライカを製造しているのかよく分からない状態が続いた[86]。
「ライツ」から「ライカ」への再編
1980年代、エルンスト・ライツ・ヴェッツラーGmbHは複数回の再編を経た。1986年、同社は事業部門を分割し、ライカGmbH(カメラと双眼鏡)、ライカマイクロシステムズGmbH(顕微鏡)、ライカジオシステムズAG(測量技術)の3つの新会社を設立した[89]。
1987年、ヴィルト・ヘーアブルークAG(Wild Heerbrugg AG、1921年設立)がライカ各社の親会社であるエルンスト・ライツ・ヴェッツラーGmbHを買収し、ヴィルト・ライツ・ホールディングAGを形成した。1990年、これがケンブリッジ・インストゥルメント社(The Cambridge Instrument Company plc)と合併してライカ・ホールディングB.V.となり、顕微鏡、測量・写真測量システム、光学科学機器が加わった[90]。1988年、ライカGmbHはヴェッツラーからゾルムスへ移転し、後にライカカメラGmbHと改称された[91]。1990年、カメラメーカーは「ライカカメラ」に商号変更した[86]。
1996年、ライカはR8一眼レフカメラとデジタルスキャナーカメラS1を発表した。同年、ライカカメラGmbHはライカ・ホールディングB.V.から分離されて株式を上場し、あわせてライカカメラAGはヴェッツラーのミノックス(Minox GmbH)を取得した[89]。1998年、富士フイルムとの協業の一環として、ライカは最初のデジタルカメラディジルックス(Digilux)を発売した[92]。
エルメスの資本も一時期入り、その時期にはその革を使用した特別モデルなども発売されていた。2000年12月、フランスの高級品グループエルメスは公開買付けにより当初31.5%の株式を取得した。その後エルメスは持分を36%超に増やし[89]、2004年に発行された転換社債の過半を取得した。ライカは1999年と2000年には利益を上げていたが、2001年には赤字に転じた[93]。2001年、ミノックスはマネジメント・バイアウトにより再び独立した企業となった[94]。
ライカ Digilux 1 が2002年初頭に発売された。そのデザインはアヒム・ハイネによるもので、初期のライカの伝統を継承することを意図していた[95][96]。
アンドレアス・カウフマンによる買収
2004年、ザルツブルクの実業家アンドレアス・カウフマンが会社に出資した。当時、会社は17%の売上減に苦しんでおり[97]、2005年春には不安定な財務状況のため国際的に報じられた。2006年9月、エルメスはライカカメラAGの持株[89]をカウフマンに売却した[98]。カウフマンは2007年末までに持株を約96.5%に高め、新製品の開発に数千万ユーロを投資し、2010年までに会社を黒字へ戻した[99]。2011年10月、米国の投資会社ブラックストーンがアンドレアス・カウフマンからライカカメラAGの44%の株式を取得した[100]。売上高は2億4500万ユーロであった[83]。
2008年9月、ライカは新たに開発したデジタル一眼レフカメラシステムであるSシリーズを発表した[101]。このシリーズは堅牢なマグネシウムボディを備え、防滴・防塵構造であった。同年には、フルサイズセンサーを搭載したライカM9も登場した。なお、それ以前はMシステムのデジタル化は短いフランジバックなどの技術的制約から実現できなかったが、2004年ごろにコダックが開発したマイクロレンズアレイによって技術的な前提が整った[102]。2006年に発表されたライカM8は、Mシステム初のデジタルレンジファインダーカメラであった。
2012年10月1日、リサ・ジャーマニー・ホールディングGmbH(Lisa Germany Holding GmbH)が残る少数株主の株式を取得したことで、ライカカメラAGはフランクフルト証券取引所から上場廃止となり、非上場の私企業となった[103]。過半数の株式はカウフマンが保有し続け、監査役会長を務めている[98]。
2013年3月、拡張されたポルトガル工場が開設され、スポーツオプティクス製品やコンパクト双眼鏡のほか、ライカのレンズやシステムカメラの部品・組立品が製造されている[6]。同年、アップルの長年のチーフデザイナーであったイギリスのデザイナージョナサン・アイブがマーク・ニューソンとともに、慈善目的で競売にかけるライカカメラをデザインした。この一点物のカメラは競売で180万米ドルの収益を上げた[104]。
2014年、新しいLマウントが導入され[105]、同年5月、ライカカメラAGはヴェッツラーの新しい工業地区「ライツパーク1」に新工場を完成させ、創業の地であるヴェッツラーへ戻った。2015年には、ミラーレスのフルサイズシステムであるライカQとライカSLがライツパークで発表された[106]。
その後、アンドレアス・カウフマンの指揮のもと、ライカは事業領域をさらに拡大した。2017年には眼鏡レンズ市場に参入し、ブランド「ライカ・アイケア」を立ち上げた。当初はノヴァセル(Novacel)社との協業でフランスにて眼鏡レンズを製造していた。2021年に独立したライカ・アイケアGmbHが設立され[48]、2023年にはドイツに自社の眼鏡レンズ生産施設が設けられた[49]。2018年には、ライカはL1・L2モデルで腕時計分野にも参入した[107]。
2020年3月、Sシリーズ最後の機種となるライカS3が発売された。解像度6400万画素の新開発の画像センサーを備え、ダイナミックレンジは15段、感度は最高ISO 50000で、最大4096×2160画素での動画撮影が可能であった[108]。
2022年以降の展開
2022年8月、ライカは中国のハイセンスと技術協業に合意した[109]。同年、ライカはホームシネマ分野に参入し、IFAでレーザーテレビ「ライカ Cine 1」を発表した[110]。
2023年10月、ライカはライカM11-Pで、コンテンツ認証イニシアティブ(CAI)のコンテンツ・クレデンシャルへの対応を統合した機種を世界で初めて投入した[111]。この機能により、撮影時に著作者・撮影日時・撮影場所・編集履歴などのメタデータを暗号的に記録・保存できる。コンテンツ・クレデンシャルはデジタルコンテンツの透明性とトレーサビリティを高め、画像素材の真正性を担保する[112]。同月、ライカはシュヴァルツヴァルトのレーマン・プレシジョンGmbHが製造する腕時計ZM1・ZM2を発売した[52]。
2026年4月20日、デジタルカメラ用センサーを開発するためのGpixelとの提携が発表された[113]。
写真文化におけるライカ
ライカギャラリーとアカデミー
ライカは、さまざまな施設やプログラムを通じて世界的に写真を支援している。これには、著名な写真家の作品を展示する約30のライカギャラリーが含まれる[9]。また、ライカアカデミーは、さまざまな経験段階の写真家や写真を志す人に向けた研修プログラムを提供している[114]。
ライカ・ヴェルト
ヴェッツラーの本社にあるライカ・ヴェルト(Leica Welt)には、写真の歴史と文化に関わる複数の施設が集まっている。ここにはエルンスト・ライツ・ミュージアムがあり、歴史的な展示品、技術的発展、ライカで撮影された写真作品を通じて、ライカカメラの発展と写真への影響を紹介している[115]。ライカ・ヴェルトには、物販・イベント施設、写真芸術のためのギャラリー、セミナールーム、希少なカメラや写真の競売に使われる空間も含まれる[116]。
写真コンテストと賞
ライカカメラは、ドキュメンタリー写真に対してライカ・オスカー・バルナックアワード賞(LOBA)を授与している。この賞は、ライカ35mmカメラの開発者であるオスカー・バルナックにちなんで名づけられ、本賞と新進写真家向けの賞からなる[117]。2025年からは、ライカ・ウーマン・フォト・プロジェクトアワードが2026年にLOBAの追加部門として統合されることが発表された[118]。2026年には、21歳以上の女性プロ写真家を対象とした助成金「LOBA Women Grant」が新設された[119]。このほか、ライカは2011年以降、写真家の生涯の業績と写真史への貢献を称えてライカ・ホール・オブ・フェイムアワードを授与している[120]。
ライカは毎年、歴史的または芸術的に重要な1枚の写真を「ライカ・ピクチャー・オブ・ザ・イヤー」として顕彰している。2025年には、ジョエル・マイヤーウィッツが1963年にマンハッタンのプエルトリコ・デー・パレードで撮影した写真が選ばれた[121]。
ライカI 100周年(2025年)
2025年、ライカカメラは、初めて量産された35mmカメラの100周年を、複数の都市で開催した国際的なイベントや展示によって記念した。あわせて記念出版物や特別なカメラのモデルが発売された[122]。一連のイベントはドバイ、ミラノ、ニューヨーク、上海、東京などの都市やヴェッツラーのライツパークで行われた。記念プログラムには2025年6月のライツ・フォトグラフィカ・オークションが含まれ、ライカ0シリーズのカメラがバイヤーズプレミアムを含めて720万ユーロ(プレミアムを除くと600万ユーロ)で落札された。会場には、ライカの収集家として知られる俳優のジェイソン・モモアらが訪れた[123]。ヴェッツラーのエルンスト・ライツ・ミュージアムも2つの展覧会で記念行事に参加した。『The Magic of the Street』(Die Magie der Straße、2025年2月-6月)では、アンリ・カルティエ=ブレッソンやマルティーヌ・フランクの写真を含むライカ・コレクションの作品が展示され[124][122]、2025年6月以降はジョエル・マイヤーウィッツの回顧展が開かれた[124]。
著名な愛好者と写真家
ライカのカメラは、とりわけ20世紀後半のストリート写真と強く結びついており[125]、アンリ・カルティエ=ブレッソンやセバスチャン・サルガドといった写真家に使われた[126]。
ライカのカメラは日本の写真とも結びついてきた。20世紀の日本を代表する写真家の一人である木村伊兵衛は、日常の情景を素早く撮影するために小型カメラを用い、その写真集『Japan through a Leica(ライカによる日本)』は1939年に東京で刊行された[127]。後の日本の写真家もライカを用いており、荒木経惟はライカM6で多くの写真を撮ったと報じられている[128]。
写真以外の分野で主に知られる人物にもライカの使用者がいる。映画監督のスタンリー・キューブリック、ミュージシャンのパティ・スミス、俳優のジェイソン・モモアはいずれも写真作品でライカを用いたことが記録されており、その作品は本業とは独立して発表・展示されている[129]。映画監督のデヴィッド・リンチも写真家として広く活動し、国際的に展示された写真作品にライカを用いた[130]。
骨董取引と収集
ヴェッツラーとウィーンで年2回開催されるライツ・フォトグラフィカ・オークションは、歴史的なカメラ・レンズ・写真機材を扱う国際的な競売であり、希少で重要な品が繰り返し高値をつけてきた[131]。
歴史的なライカの試作機や希少なカメラ・付属品は、非常に高い価格で取引されることがある。2018年3月10日にウィーンで開催されたウェストリヒトのオークションでは、1923年の試作シリーズの動作するライカ試作機が216万ユーロで落札された[132]。ライカIの先駆けとなるこの機種は、当時、写真史上最も高価なカメラであった[133]。2022年には、かつてオスカー・バルナックが所有していたライカ0シリーズの試作機(No.105)が、ヴェッツラーのライツ・フォトグラフィカ・オークションで1440万ユーロで落札された。このカメラは最初期の35mmカメラの一つとされ、オークションで取引された史上最も高価なカメラと見なされている[134]。
また、軍用の刻印があるライカは高く評価されており[135]、これが偽の刻印を施した改装ソ連製コピー機の市場を生むきっかけともなった。
展覧会(抜粋)
- 『Augen Auf! 100 Jahre Leica Fotografie』(2015年-2016年、ウィーン)。ハンス=ミヒャエル・ケッツレのキュレーションにより、ギャラリー・ウェストリヒトで『Die Klassiker』(2015年12月4日-2016年2月21日)、ギャラリー・オストリヒトで『Die Zeitgenossen』(2015年12月11日-2016年2月13日)の2部構成で開催された[136]。
- 『Augen Auf! 100 Jahre Leica Fotografie』(追加展示を加えたもの、2016年3月9日-6月5日、ミュンヘンのバイエルン保険金庫クンストフォイヤー)[137]。
ライカの価格
1930年代から1940年代ごろには「ライカ1台あれば家が一軒建てられる」と云われた。例えば、アサヒカメラ1939年11月号に掲載されているライカIIIaクローム+エルマー50mmF3.5の価格は820円、ライカIIIaクローム+ズマール50mmF2は1,200円であった。当時小さな貸家が500円で建てられ、1,000円あれば場所にもよるが東京で土地付き一軒家が購入できた[138]。この言い伝えは2008年3月10日にTBS系で放送されたテレビドラマ『3月10日東京大空襲 語られなかった33枚の真実』にて原田泰造演じる刑部安治がその旨を語るシーンがあり、メディアでも採用されている。ただしこれには「カメラが高かった」ということだけでなく、第二次世界大戦突入によりドイツからの輸入が困難になって価格が高騰した時期であることや、東京の土地が今より格段に安かったという要素もある。
ライカの製造番号
1923年に製作されたサンプルのライカ0のNo.100からNo.129、1925年に発売されNo.130から番号をつけられたライカIを含めて、ライカのカメラには通し番号がつけられてきた。また「何型のNo.何は何年にどこ向けで出荷された」という履歴が社内で記録されていた。この履歴は長らく社外秘であったが1961年からリークされるようになり、1973年には「型と番号の製造年度表」(Angabe des Modells und des Baujahres )として正式にエルンスト・ライツから入手できるようになった。しかしこれは番号割当の表であって実際にこの通りに生産されたわけではなく、当初このリストに合わない個体があることに気がついたファンの間にかなりの混乱を招いた。
1978年にはライカI(A)からライカIIIgまでのライカ各型の製造台帳とも言える「ライカ・ヒストリカ第1巻」(Leica Historica Band I )が入手できるようになり、「型と番号の製造年度表」と比較すればかなり正確な情報を詳細に得られるようになったが、やはり欠番や重複が随所にある。またライカI(B)には「Compur」の付記があるが、ライカI(A)とライカI(C)は全く区別されていない。
戦後になれば生産設備が整い1ロット辺りの製造数も多くなってかなり秩序だった生産がされているが、1台ずつ熟練工が組み立てていた戦前では製造番号通りの順で生産されたわけでもない[139]。
贈呈品
エルンスト・ライツは、古くから特別な製造番号の顕微鏡は販売ルートに載せず、著名な科学者に贈っていた[140]。当時これはノーベル賞と比較されるほど名誉なこととされ、順序としてはノーベル賞より古い[140]。ライカについても同様に特別な製造番号のものは科学者[140][141]、探検家[141]、政治家[141]、写真家[141]などの有名人に贈られた。中川一夫『ライカの歴史』p.126によれば、この一覧は以前より写真雑誌などにたびたび掲載されたが、転載によると推測される間違いが多く、それを辿ると転載ルートが分かる程であったため、『ライカの歴史』p.128の一覧を掲載するにあたり新たにライツ本社に問い合わせたという[141]。
- 280 - ライカI(A)、1925年。フェルディナント・フォン・ツェッペリン。
- 10000[140][141][142] - ライカI(A)[142]、1928年[141][142]。フーゴー・エッケナー[140][141][142]。
- 25000[141][142] - ライカI(A)[142]、1929年[141][142]。スヴェン・ヘディン[140][141][142][注釈 3]。
- 50000[140][141] - ライカI(C)[142]、1930年[142]または1931年[141]。ドイツの探検家、ヴィルヘルム・フィルヒナー[140][141][142]。
- 75000[140][141][142] - ライカII[140][142]、1932年[141][142]。オーギュスト・ピカール[140][141][142]。
- 100000[140][141][142] - ライカII[142]、1933年[141][142]。人類学者、アフリカ探検家レオ・フロベニウス(Leo Frobenius )[140][141][142]。
- 125000[140][141] - 登山家、ギュンター・オスカー・ディーレンフルト(Günter Oskar Dyhrenfurth)[140][141]。
- 150000[140][141] - 1935年[141]。コダクローム共同発明者、レオポルド・ゴドウスキー・ジュニア(Leopold Godowsky Jr. )[140]。
- 157000[140][141] - ライカIII[142]、1935年[141]。コダクローム共同発明者、レオポルド・マンネス(Leopold Mannes )[140][141]。
- 200000[140][141][143][142] - ライカIIIa[143][142]、1936年[140][143][141][142]。ライカを愛用した小型カメラ写真の先駆者、パウル・ヴォルフ[140][142][143][141]。
- 230000[140] - ライカIIIa[140]、1935年。日本写真歴史保存会会長、河原栄一[140]。事前に通知が来てレンズは好きなものを選択でき、贈られたボディーの巻き上げノブの上に「E.Kawahara」と刻印されていたという[140]。
- 250000[140][141][142] - ライカIIIa[142]、1937年[141]。ヴィルヘルム・フィルヒナー、中央アジアに残して来たNo.50000に代えて贈られた[140][141][142]。
- 300000[141][142] - ライカスタンダード[142]、1938年[142]または1941年[141]。アグファカラーの発明者グスタフ・ウィルマンズ(Gustav Wilmanns )[142][141]。
- 350000[141][142] - ライカIIIb[142]、1940年[142]または1941年[141]。アグファカラーの発明者ウィルヘルム・シュナイダー(Wilhelm Schneider )[142][141]。
- 375000 - ライカIIIc、1941年。ドイツ陸軍軍人、エルヴィン・ロンメル。
- 400000[141][144] - ライカIIIc[144]、1945年[144]または1946年[141]。ウィルヘルム・シュナイダー、No.350000が損耗したため[141][144]。
- 450000[141][144] - ライカIIIc[144]、1948年[144]または1949年[141]。ドイツユースホステル創業者、リヒャルト・シルマン[144][141]。
- 500000[141][144] - ライカIIIc[144]、1950年[141][144]。カメラ生産50万台達成記念[141][144]、エルンスト・ライツ2世[141][144]。
- 555555[141][144] - 金メッキされたライカIIIf[144]、1951年[141][144]。ダライ・ラマ14世[145][144][141]。
- 575000 - 1951年[141]。アルベルト・シュヴァイツァー[141]。
- 600000[141][144] - ライカIIIf[144]、1952年[141][144]。海洋生物学者、ウィリアム・ベーベ(William Beebe )[141][144]。
- 650000[141][144] - ライカIIIf[144]、1953年[141][144]。登山家、ノーマン・ギュンター・ディーレンフルト(Norman Günter Dyhrenfurth)[141][144]。
- 666666[141] - ライカIIIf、1953年[144]または1954年[141]。登山家、エドモンド・ヒラリー[144][141]。[注釈 4]
- 675000[141][144] - ライカIIIf[144]、1953年[141]。位相差顕微鏡発明者、フリッツ・ゼルニケ[144][141]。
- 700000[141][144] - ライカM3[144]、1954年[144]または1955年6月。山岳写真家、スキーヤー、シュテファン・クルッケンハウザー(Stefan Kruckenhauser )[144][141]。
- 750000[141][144] - ライカM3[144]、1955年[144]。写真家、アンリ・カルティエ=ブレッソン[141][144]。
- 800000[141][144] - ライカM3[144]、1956年[141]。コンラート・アデナウアー[141][144]。
- 830000[141][144] - ライカM3[144]、1956年[141][144]。ジャワハルラール・ネルー[144][141]。
- 875000[141][144] - ライカM3、1957年[141][144]。フィリップ・タランテー(Philippe Tiranty )[141][144]。
- 900000[141][144] - ライカM3[144]、1957年[144]または1958年[141]。エドウィン・ウィッシャード[141][144]。
- 919000[141][144] - ライカM3[144]、1958年[141]。ドイツ連邦大統領テオドール・ホイス[141][144]の訪英時、イギリス女王エリザベス2世[141]に紋章入りで贈られた[144]。
- 950000[141] - 1959年[141]。トルヴィオ・ロイター[141]。
- 980000[141][144] - ライカM3[144]、1959年[144]または1960年[141]。ドイツ連邦首相コンラート・アデナウアー[141][144]からアメリカ大統領ドワイト・D・アイゼンハワー[141][144]に贈られた。
- 1000000[141][144] - ライカM3[144]、1960年[141][144]。カメラ生産100万台達成記念[141]で、ルドヴィッヒ・ライツ[141]またはエルンスト・ライツ3世[144]。
- 1000001[141][144] - ライカM3[144]、1960年[144]または1961年[141]。写真家、アルフレッド・アイゼンスタット[141][144]。
- 1259999 - ライカフレックスSL、1970年。レオポルド・ゴドウスキー・ジュニア。
関連する作品や製品
- コミックス・テレビドラマ『Dr.コトー診療所』で、診療所の事務長である和田がバルナック型ライカを使用している。
- 4コマコミックス『らいか・デイズ』 - 作中登場人物(多数)のほとんどは古今東西のカメラメーカー・カメラ機種に因んだ名前になっており、主人公である「春菜来華」はライカに因んだ名前。
- 2016年4月15日、ファーウェイのスマートフォン「P9」以降の「Mate」を含む複数機種は、ライカと共同開発したカラーとモノクロの2つのカメラモジュールを搭載した[146]。
- 2020年、ライカはInsta360と戦略的パートナーシップを締結し、ONE R 1インチエディションの製作に協力した[147]。
- 2021年7月16日、シャープとの共同開発により、ライカ初のスマートフォン「LEITZ PHONE 1」が発売された[148]。
- 2022年7月4日、シャオミは同社が初めてライカと共同開発したスマートフォン「Xiaomi 12S Ultra」を発表した[149]。
商品コード
代理店との連絡の時間節約のために原則アルファベット5文字で定めたコードで、「フォコス(FOKOS )[150]」「ヌーキー(NOOKY )[150]」「ビドム(VIDOM )[150]」「オロルフ(OROLF )[151]」など、製品を特定するのに機種名に準じて使用されている。新コードは原則数字5文字に変更されている。
ライカの改造
戦前の純正改造
ライカIIの設計をする際、設計陣が設定した条件の一つに、ライカIの基本形を変えず、顧客の要望でグレードアップできるという項目があった。これに伴い顧客のライカは直接または代理店を通じて送られ、改造を受けた。
- ライカI(A)からライカI(C)、ライカI(C)0マーク付き、ライカスタンダード
- ライカI(C)からライカI(C)0マーク付き、ライカスタンダード
- ライカI(A)、ライカI(C)、ライカI(C)0マーク付き、ライカスタンダードからライカII、ライカIII、ライカIIIa[152]
戦後の純正改造
第二次大戦後はしばらく改造の受付は中止されたが、ライカIIIf発売に伴いフラッシュシンクロの追加を含めて受付が始まり、1960年代初頭まで続いた。
- ライカI(A)、ライカI(B)、ライカI(C)、ライカI(C)0マーク付きからライカII、ライカIIシンクロ付き、ライカIII、ライカIIIa、ライカIIIaシンクロ付き
- ライカIIからライカIIシンクロ付き、ライカIIIa、ライカIIIaシンクロ付き
- ライカIIIからライカIIIa、ライカIIIaシンクロ付き
- ライカIIIaからライカIIIaシンクロ付き
- 戦後型のライカIcからライカIf、ライカIIf、ライカIIIf
- 戦後型のライカIIcからライカIIf、ライカIIIf
- 戦後型のライカIIIcからライカIIIf
- 製造番号425001以後のライカIIIcからライカIIIfセルフタイマー付き
- ライカIcからライカIIc、ライカIIIc
- ライカIIcからライカIIIc
- ライカIfからライカIIf、ライカIIIf
- ライカIIfからライカIIIf
- ライカIgからライカIIIg[152]
- ライカM1からライカM2 - ただし実例は確認されていない[153]。
- ライカM5、2本吊りから3本吊り。
非純正改造
日本では戦前も戦後も輸入規制があり、また関税・物品税などが高く、外貨の支払いを伴う改造の依頼はほとんど不可能で、日本の修理業者による改造が行なわれていた。光学精機(後のニッカカメラ)がライカの改造から事業を始めたことはよく知られている[154]。なお、ライカでないボディーを改造してライカと刻印してある物もあり、この場合、フェイクライカやコピーライカと呼ばれる物になっている[154]。
ライカ製レンズの名称
以前ライカ製のレンズの名称は、例えばテッサータイプのレンズはエルマー、プラナータイプのレンズはズマロンのように、レンズ構成によって決められていた。しかしその後はほぼF値によって決められるようになっている。例えばF1から1.2はノクティルックス、F1.4はズミルックス、F2はズミクロン、F1.5はズマリット、F2.8はエルマリート、それより暗いレンズはエルマーである。
代理店
日本代理店は戦前からシュミット商会が行なっていたが、ウィルド傘下に入った1974年、同社代理店だった日本シイベルヘグナー(現DKSHジャパン)に変更された。その代理店契約が切れた2005年3月1日、⽇本法⼈ライカカメラジャパン株式会社を設⽴し、2006年4月22日にはライカ初の直営店を東京・銀座に開店している。⽇本での開店に踏み切った理由として、世界でもっともライカの愛好者が多い国だというのが挙げられている。直営店としては、ライカ表参道店、ライカ京都店、ライカ⼤丸東京店、ライカ GINZA SIX、ライカプロフェッショナルストア東京、ライカ伊勢丹新宿店、ライカそごう横浜店、ライカ⼤丸⼼斎橋店、ライカ阪急うめだ店、ライカ松坂屋名古屋店、ライカ岩⽥屋福岡店な どがある。
脚注
注釈
- ↑ レンズ設計者のルートヴィッヒ・ベルテレとはスペルも違い無関係。
- ↑ "ケルナーとベルトレの光学研究所"といった意味の社名である。
- ↑ スヴェン・ヘディンが贈呈されたカメラの製造番号について『クラシックカメラ専科』p.116は15000とする。
- ↑ エドモンド・ヒラリーが贈呈されたカメラの製造番号についてInternet Photo Magazine Japan第5回ライカのラッキーナンバー(2)は666000とする。
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- ↑ ““ソフトバンク”、ライカ初のスマートフォン「LEITZ PHONE 1」を独占発売 | プレスリリース | ニュース | 企業・IR”. ソフトバンク. 2021年8月14日閲覧。
- ↑ 1インチセンサー含む3眼カメラ。ライカ共同開発スマホ「Xiaomi 12S Ultra」海外発表
- 1 2 3 『クラシックカメラ専科No.19、ライカブック'92』p.129。
- ↑ 『クラシックカメラ専科No.28、M型ライカ図鑑』p.73。
- 1 2 『クラシックカメラ専科No.24、バルナック型ライカ図鑑』p.34。
- ↑ 『クラシックカメラ専科No.28、M型ライカ図鑑』p.21。
- 1 2 『クラシックカメラ専科No.28、M型ライカ図鑑』p.100。
参考文献
- 佐貫亦男著『ドイツカメラのスタイリング』、グリーンアロー出版社、1996年、ISBN 4-7663-3189-3
- 北野邦雄著『世界の珍品カメラ』朝日ソノラマ
- 田中長徳著『銘機礼賛』日本カメラ ISBN 4-8179-0004-0
- 竹田正一郎『ツァイス・イコン物語』光人社 ISBN 978-4-7698-1455-9
- 中川一夫『ライカの歴史』写真工業出版社
- 『別冊ステレオサウンド ヴィンテージカメラセレクション』ステレオサウンド ISBN 4-88073-035-1
- 『フォトニュース』日本シイベルヘグナーライカバルナック事務局
- 『クラシックカメラ専科』朝日ソノラマ
- 『クラシックカメラ専科No.2、名機105の使い方』朝日ソノラマ
- 『クラシックカメラ専科No.4、名機の系譜』朝日ソノラマ
- 『クラシックカメラ専科No.8、スプリングカメラ』朝日ソノラマ
- 『クラシックカメラ専科No.12、ミノルタカメラのすべて』朝日ソノラマ
- 『クラシックカメラ専科No.19、ライカブック'92』朝日ソノラマ
- 『クラシックカメラ専科No.24、バルナック型ライカ図鑑』朝日ソノラマ
- 『クラシックカメラ専科No.28、M型ライカ図鑑』朝日ソノラマ
- 『クラシックカメラ専科No.29、モダンクラシック』朝日ソノラマ
- 『クラシックカメラ専科No.50、ライカブック'99ライカのメカニズム』
- 『クラシックカメラNo.1、特集ライカ』双葉社 ISBN 4-575-47104-6
- 『クラシックカメラプライスガイド1995年版ライカM型』I.C.S.輸入カメラ協会
関連項目
- ライカマウントレンズの一覧 - バルナック型とMシリーズ用のレンズの一覧。
- ライカRマウントレンズの一覧 - Rシリーズ用のレンズの一覧。
- ライカLマウント - ライカが自社のミラーレスカメラのために開発したユニバーサル・マウントの規格。
- Lマウントレンズの一覧 - ライカLマウント用のレンズの一覧。
- フォコマート - エルンスト・ライツの引き伸ばし機。
- ライカ同盟 - 赤瀬川原平、高梨豊、秋山祐徳太子らによって結成された、ライカを中心としたメカニカルカメラを愛する集団。
- フェイクライカ
- コピーライカ
- 三鷹光器 - 手術用顕微鏡をライカへOEM供給している。
外部リンク
- 公式ウェブサイト - ライカ公式ウェブサイト(日本語版)
- ライカマイクロシステムズ株式会社
- ライカジオシステムズ株式会社
- LEICAのページへのリンク