ギュンター・リトフィン
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/30 20:20 UTC 版)
ギュンター・リトフィン(ドイツ語: Günter Litfin, 1937年1月19日 – 1961年8月24日)は、東ドイツ(当時)に住んでいた人物であり、ベルリンの壁脱出失敗による最初の殺人被害者[注釈 1] である。東ベルリンに住んでいたリトフィンは、西ベルリンで仕立て屋として働いていた[1]。1961年夏、西ベルリンの職場近くに移住を計画していたが、8月13日の「ベルリンの壁」建設によって職も新居も失う結果となった[2]。リトフィンは西ベルリンへの脱出を試みたが、運河内で射殺された[1][2][3]。2000年に生地にある通りが「リトフィン通り」と改称された[1]。2003年には実弟によって、現場近くに事件を伝える資料館が開かれた[1][2][4]。
注釈
- ^ ベルリンの壁での殺害によらない事故死者は、リトフィン以前にも存在している。1961年8月24日、イーダ・ジークマンという当時59歳の女性が、西ベルリンに面する建物の4階から脱出を試みたが、転落して死亡した。これに先立つ8月19日には、ルドルフ・ウルバンという当時47歳の男性が、ジークマンが試みたのと同様の方法で自分の妻及び友人夫妻とともに西ベルリンへの脱出を実行した。妻と友人夫妻は脱出に成功したが、ウルバンのみが3メートルほどの高さから転落し、9月17日に死亡した。
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao 近藤、pp .85-90.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 熊谷、pp .113-115.
- ^ a b c d e ヒルトン(上)、pp .258-259.
- ^ a b c “Geschichte”. gedenkstaetteguenterlitfin.de. 2015年1月26日閲覧。 (ドイツ語)
- ^ a b c ヒルトン(上)、pp .182-183.
- ^ ヒルトン(下)、p .351
- ^ a b 近藤、pp .73-77.
- ^ 山本、pp .29-31.
- ^ a b 熊谷、pp .119-123.
- ^ a b 近藤、pp .77-85.
- 1 ギュンター・リトフィンとは
- 2 ギュンター・リトフィンの概要
- 3 参考文献
- ギュンター・リトフィンのページへのリンク