坂東三津五郎 (8代目)
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八代目 坂東 三津五郎(はちだいめ ばんどう みつごろう、1906年(明治39年)10月19日 - 1975年(昭和50年)1月16日)は、日本の俳優、歌舞伎役者。屋号は大和屋。定紋は三ツ大、替紋は花勝見。本名は守田 俊郎(もりた としろう)。青年期より敵役や老役を得意とし、重要無形文化財保持者(人間国宝)にも認定されたが、フグ毒にあたって急逝した。
注釈
- ^ ただし伊藤雄之助は、相手役が蓑助の時は「一興行25日のあいだ、ただの一回も舞台で私のセリフを受けてくれなかったのです。彼は観客に聞こえないような小声で、ただ「大根、大根」というだけなんです。私は棒立ちになって、無様な姿を舞台にさらすのみ」 「蓑助氏は、私につらくあたること自体(結局は本人の為になる『いわば愛の鞭だ』)と言った事を他人から耳にした、(中略)いくら「愛の鞭」だと言っても、鞭をあてられるほうだって理解は出来る。それが愛情によるものか、憎しみによるものか、またホンの慰みのつもりなのか。わからないはずはないのです。おそらく、俊才の名が高い同氏にしてみれば、同じ歌舞伎一門の中から私のような鈍才が生まれたのが、目障りでもあり、腹立たしくもあったのではないでしょうか。」と述べている[5]。
出典
- ^ 坂東三津五郎(8代目) コトバンク
- ^ 坂東蓑助が移動演劇団呼びかけ『中外商業新聞』(昭和13年8月9日)『昭和ニュース事典第6巻 昭和12年-昭和13年』本編p338 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
- ^ 『朝日新聞』1966年4月7日(東京本社発行)朝刊、14頁。
- ^ a b 心にうつりゆくよしなし日記「昭和37年 八代目坂東三津五郎襲名披露」2012年6月3日閲覧。
- ^ 伊藤雄之助著『大根役者・初代文句いうの助』P.38-40
- ^ 食通、食に死す 舌の確かな人が『中国新聞』昭和50年1月17日朝刊、15面
- ^ 週刊『人間国宝』、朝日新聞社[要ページ番号]
- 1 坂東三津五郎 (8代目)とは
- 2 坂東三津五郎 (8代目)の概要
- 3 フグ中毒
- 4 伝記
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