アレグザンダー・リンジー (第4代クロフォード伯爵)とは? わかりやすく解説

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アレグザンダー・リンジー (第4代クロフォード伯爵)

(Alexander Lindsay, 4th Earl of Crawford から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/16 19:34 UTC 版)

第4代クロフォード伯爵アレグザンダー・リンジー英語: Alexander Lindsay, 4th Earl of Crawford1420年代1453年9月)は、スコットランド貴族リンジー氏族英語版の一員であり、「虎」(The Tiger)や「あごひげ伯爵」(Earl Beardie)、「長髭のデイヴィッド」(David with the long beard[注釈 1])などのあだ名が知られる[1]

生涯

第3代クロフォード伯爵デイヴィッド・リンジーとマージョリー・オグルヴィ(Marjory Ogivlie、1476年以降没、アレグザンダー・オグルヴィの娘)の息子として生まれ、1445年7月1日までに騎士爵に叙された[1]

爵位継承以前にアーブロース寺院英語版より寺院のChief Justiciarに任命されたが、寺院側はアレグザンダーの従者に必要な維持費が高すぎるとしてアレグザンダーを解任、代わりにアレグザンダー・オグルヴィ(Alexander Ogilvie)を任命した[2]。これに対しアレグザンダーが武力でアーブロース寺院とアーブロース英語版の町を占領したため、オグルヴィ氏族英語版はアレグザンダーをアーブロースから追い出そうとし、アレグザンダーは町門の前に戦列を展開してオグルヴィ氏族の軍勢を待ち構えた[2]。これが1446年1月13日のアーブロースの戦い英語版である。いざ戦闘に及ぼうとする矢先にアレグザンダーの父である第3代クロフォード伯爵デイヴィッド・リンジーが両軍の間に現れ、何とか衝突をやめさせようとしたが、その前にオグルヴィ氏族の兵士に槍で致命傷を与えられた[2]。これにリンジー氏族が激怒してオグルヴィ氏族を攻撃、そのまま勝利したが、第3代クロフォード伯爵が重傷により4日後に死去したため、アレグザンダーはクロフォード伯爵位を継承した[1]。また、世襲職のアバディーン州裁判所判事英語版(Sheriff of Aberdeen)も継承した[1]。アーブロースの戦いによるリンジー氏族とオグルヴィ氏族の間の恨みは1世紀以上続いたという[2]

1451年、在イングランド王国スコットランド大使を務めた[1]

父と同じくダグラス伯爵英語版家やジョン・オブ・アイラ英語版と同盟した[2]。1452年2月21日[2]第8代ダグラス伯爵ウィリアム・ダグラス英語版がスコットランド王ジェームズ2世に殺害されると反乱を起こしたが、5月18日のブレッチンの戦い初代ハントリー伯爵アレグザンダー・ゴードン英語版に敗れ[1]、自身の所有するフィンヘイヴン城英語版に逃走した[2]。その後、クロフォード伯爵は土地、財産の没収を宣告され、アバディーン州裁判所判事からも解任され、代わりにハントリー伯爵に与えられた[2]

しかし、ダグラス伯爵の失脚をみて、これ以上抵抗しても無駄であると観念したクロフォード伯爵はまずハントリー伯爵とセント・アンドルーズ主教英語版ジェイムズ・ケネディ英語版の信用を得て、続いて帽子をかぶらず裸足でジェームズ2世の前に現れ、降伏の言葉を述べた[2]。ジェームズ2世はクロフォード伯爵を許し、翌1453年4月に財産を返還、さらにGuardian of the Marchesに任命した[1]

1453年9月に熱病でフィンヘイヴン城英語版で死去[2]、息子デイヴィッドが爵位を継承した[1]

家族

マーガレット・ダンバー(Margaret Dunbar、1498年と1500年の間に没、サー・デイヴィッド・ダンバーの娘)と結婚[1]、2男1女をもうけた[3]

  • デイヴィッド(1440年 – 1495年) - 第5代クロフォード伯爵、初代モントローズ公爵
  • アレグザンダー(1443年頃 – 1517年) - 第7代クロフォード伯爵
  • エリザベス(1509年9月22日以降没) - 初代ドラモンド卿ジョン・ドラモンド英語版と結婚、子供あり

注釈

  1. ^ 訳注:「デイヴィッド」は父にあたる第3代クロフォード伯爵デイヴィッド・リンジーを指す。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, H. Arthur, eds. (1913). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Canonteign to Cutts) (英語). 3 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 509–510.
  2. ^ a b c d e f g h i j Henderson, Thomas Finlayson (1893). "Lindsay, Alexander (d.1454)" . In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). 33. London: Smith, Elder & Co. pp. 279–280.
  3. ^ "Crawford, Earl of (S, 1398)". Cracroft's Peerage (英語). 22 March 2005. 2020年7月6日閲覧
スコットランドの爵位
先代
デイヴィッド・リンジー
クロフォード伯爵
1446年 – 1453年
次代
デイヴィッド・リンジー



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