黒川幹太郎とは? わかりやすく解説

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黒川幹太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/04 00:50 UTC 版)

黒川 幹太郎(くろかわ かんたろう、1872年9月1日(明治5年7月29日[1])- 1930年昭和5年)10月27日[1][2])は、明治から昭和期の農林技官政治家華族貴族院男爵議員

略歴

陸軍省出仕・黒川通軌の長男として生まれる[1][3][4]。父の死去に伴い、1903年(明治36年)3月28日に男爵を襲爵した[1][3][5]

1899年(明治32年)東京帝国大学農科大学林学科実科を卒業した[2][3][4]1902年(明治35年)営林技手に就任[2]。その後、帝室林野管理局技師、同東京支局東京出張所長などを務めた[2][3]

1918年(大正7年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され[6][7]公正会に所属して活動し死去するまで2期在任した[2][8]

栄典

親族

  • 妻:カツヤ(琴陵宥常三女、1891年9月結婚)[1][4]
  • 養子:秀雄(1910-1937、男爵、陸軍歩兵中尉、黒川通幸長男、死後襲爵手続きを行わなかった)[1]

脚注

  1. ^ a b c d e f 『平成新修旧華族家系大成 上巻』559頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』70頁。
  3. ^ a b c d 『人事興信録 第8版』ク67-68頁。
  4. ^ a b c 『華族畫報 上』392頁。
  5. ^ 『官報』第5919号、明治36年3月30日。
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、27頁。
  7. ^ 『官報』第1788号、大正7年7月18日。
  8. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、38頁。
  9. ^ 『官報』第162号「叙任及辞令」1927年7月14日。

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。
  • 杉謙二編『華族畫報 上』吉川弘文館、2011年(華族画報社大正2年刊の複製)。


日本の爵位
先代
黒川通軌
男爵
黒川(通軌)家第2代
1903年 - 1930年
次代
黒川秀雄



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