鹿野村 (台東庁)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 鹿野村 (台東庁)の意味・解説 

鹿野村 (台東庁)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/01 03:37 UTC 版)

鹿野村(しかのむら)は、日本統治時代の台湾日本人移民村中国語版である。現在の台東県関山鎮月眉から鸞山にあり、面積は1000ヘクタールに達した。日本からの移民は約2000人であり、主に四国九州から入植した。

鹿野移民村は台湾総督府による開発活動を受けて、1915年に台東庁長の能勢靖一が設置した。この移民村では主に農場で栽培したサトウキビから製糖を行っており、移民は大型の蒸気耕耘機で農地を開墾した。1933年時点で53戸283人が暮らしていた[1]

1945年、日本統治の終了とともに移民村も終わりを迎え、移民はすべて日本に帰国した。鹿野村の農地はそのまま残り、その大部分が公地放領中国語版により台東県龍田村の耕作地となった。

参考文献

  1. ^ 臺灣農業移民の現況. 臺灣總督府殖產局. (1936) 



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「鹿野村 (台東庁)」の関連用語

鹿野村 (台東庁)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



鹿野村 (台東庁)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの鹿野村 (台東庁) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS