間山豊富神社とは? わかりやすく解説

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間山豊富神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/04 09:16 UTC 版)

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豊富神社
所在地 長野県中野市大字間山字宮上262
位置 北緯36度43分00秒
東経138度22分41秒
座標: 北緯36度43分00秒 東経138度22分41秒
主祭神 天照皇大神罔象女神、宇麻志葦牙彦舅神
社格 旧郷社
創建 不明
例祭 10月第2日曜日宵宮、10月第二月曜日本祭
地図
豊富神社
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間山豊富神社(まやまとよとみじんじゃ)は、長野県中野市大字間山字宮上262に鎮座する神社である[1]

祭神

天照皇大神罔象女命・宇麻志葦牙彦舅神の三神である[2]

概要

創祀年代は不詳。ここにを祀る始まりは弥生時代と推測される。明治10年(1877年)頃書き上げの『長野県町村誌』の起源の記事は、飲用の文献がはっきりせず、伝承の説とみられる。芦沢家の記録「神明宮神主代々帳」によると、宝永3年(1706年)、天下太平・国家安全を祈って幣殿(奥社)が建てられた。享保6年(1721年)に前殿(拝殿)を建て、寛政5年(1793年)には本殿、神楽殿の再建と遷宮、太々神楽が奉納されている。そして同11年に京都白川家より社号が免許されている。明治26年(1893年)に祝詞殿、拝殿を改築して現在に至っている[1]

祭日

  • 5月11日     祈年祭
  • 10月第2日曜日  宵宮
  • 10月第2月曜日  本祭
  • 11月28日     新嘗祭

歴史

  • 1706年(宝永3年) 天下太平・国家安全を祈って幣殿(奥社)が建てられた。
  • 1721年(享保6年) 前殿(拝殿)を建てる。
  • 1793年(寛政5年) 本殿、神楽殿の再建と遷宮、太々神楽が奉納されている。
  • 1810年(寛政11年)京都白川家より社号が免許されている。
  • 1893年(明治26年)祝詞殿、拝殿を改築して現在に至っている。

脚注

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参考文献

  • 湯本軍一「間山豊富神社」『須坂・中野・飯山の社寺』郷土出版社、2007年4月10日。
  • 下高井郡編「間山豊富神社」『下高井郡誌』長野県下高井郡、1922年。



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